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春国岱原生野鳥公園ネイチャーセンター

住所 根室市東梅103
TEL 0153-25-3047
営業時間 9時〜17時(10月〜3月末までは16時30分まで)
定休日 毎週水曜日(祝日はその翌々日)、祝日の翌日、12月30日〜1月3日
入館料 無料
駐車場 国道沿いにP帯がある

春国岱原生野鳥公園ネイチャーセンター

根室市観光協会

根室の由来は、語源は早くに忘れ去られ不明であるが諸説ある。江戸時代の記録には「子モロ」「根諸」などと記され、根室市では「根室国」を命名した松浦武四郎による「知床日誌」では、アイヌ語の「ニ・ムイ」(木・湾の意)を由来とし、この説を採用している。他にも「ニイモヲロ」(静かで樹木のあるの意)・「ニノヲロ」(ウニがあるの意)・「ニムオロ」(樹木繁茂する所の意)・「ネムロコタン」(池のある集落)・「メム・オロ・ペッ」(湧壺・そこにある・川の意)などとある。
東梅の由来は、アイヌ語の「トパイェ」(沼・行く)。風蓮湖の東側湖口付近の地名で、元は根室市大字厚別村の一部だった。古くはトウバヱといい当灰とも書いた。波浪で温根沼の水が海に注がれないときに西に蛇行して風蓮湖に繋がることからともいわれている。松浦武四郎が著した「初航蝦夷日誌」には「トウバヱ、此処も(トウフト)と同じく湖より海への落口。川口四十間と思われる。」とある。
春国岱の由来は、アイヌ語の「シュンク・ニタイ」(蝦夷松・林)に由来する。
根室市の玄関となる国道44号沿い、日本最東端の道の駅 スワン44ねむろから根室方向へ約3.7km左手。

2005(平成17)年11月にラムサール条約に登録された「風蓮湖」に程近く、春国岱の入口にあり、自然観察や保護の拠点となるネイチャーセンターで、1995(平成7)年4月にオープンした。
センターは、春国岱(しゅんくにたい)の自然環境保全と環境への教育的活用のため、根室市が建設したもので、レンジャー(自然専門職員)が常駐し、周辺地域の自然環境の調査を行っている。他にもセンター利用の方々へのサービスを行っている(自然観察などのツアーなどもあるが要問い合わせ・要予約が必要)。春国岱の自然を分かりやすく紹介しており、季節の花や野鳥の紹介などの展示も行っており春国岱を満喫するなら訪れる前に立ち寄って情報を得てからいくのをお勧めする。ちなみに私が訪問した際は休みで館内の画像はありません。

沿岸はアカエゾマツの森林に覆われており、砂州である春国岱(しゅんくにたい)は日本唯一のアカエゾマツ林で覆われ、約300種の野鳥を観ることができる野鳥の楽園で、国内で最大級のハマナスの群落がある。野付風蓮道立自然公園に指定される。
春国岱は第一砂丘、第二砂丘、第三砂丘の3つの砂州からなり、長さは約8km、最大幅約1.3km、面積は約6000haにもなる。
第一砂丘は約1000〜1500年前に形成されたもので国内最大級のハマナスの大群落があり、第二砂丘にはアカエゾマツの純林、第三砂丘は約3000年前に形成されたようで巨木が生い茂る。
ハクチョウの飛来地としても有名で、10月頃にはオオハクチョウが飛来する。他にもタンチョウ・オオワシ・オジロワシなども見られ、渡り鳥が多数訪れることで知られ、運が良ければ子育てするタンチョウを見ることもできるそうだ。ちなみに風蓮湖では餌付けはしていない。

東梅は、東は温根沼に、北は根室湾と風蓮湖に面する。地内のほとんどは森林で丘陵地帯。江戸期には住民は居なかったようである。元は根室市大字厚別村の一部だった。古くはトウバヱといい当灰とも書いた。1870(明治3)年幌茂尻〜厚別駅までの道路開削(この道路が出来るまでは根室〜落石を通って山道10里もかかった)する。1872(明治5)年3月根室管内の村名を定める。1875(明治8)年3月管内町村及び港湾のカナ書アイヌ名を漢字に改める。大字を附する。10月温根沼に木材囲場を官設する。当所は温根沼口に渡船場があった。1877(明治10)年遠太北岸(風蓮湖湖口に近い根室側砂嘴先端近くの内湾側だろうが浸食により分からなくなっている)渡船場を設けるまでは、アツウシベツ(厚別)を経由していたが野付方面に出るには遠回りでぬかるんで歩きにくかったようである。東梅にも渡守置かれる。この厚別には当時通行屋・番屋・倉庫などがあり、船を利用し、根室・国後・野付・西別方面へと渡る交通の要所でもあった。陸路は厚岸に至る道と、温根沼から昆布盛へ出て根室に向かう道路があった。明治時代に入ってから駅逓所(設置年は不明)や郵便局が開設されたが1879年(明治12年)に根室〜厚岸間が太平洋側を通る道になり、厚別駅逓所が落石に移転すると厚別は衰退した。1884(明治17)年5月遠太に駅逓を設置する。1894(明治27)年11月遠太南岸に渡船場開通する。1896(明治29)年11月温根沼に橋を設ける。この頃造材夫などで50戸近くの集落になった。1898(明治31)年東梅に浄土宗大雄寺公称許可となる(現・根室市東梅31)1901(明治34)年に建立した。1900(明治33)年7月根室町に一級町村制を施行する。和田外二村戸長役場に穂香(現・根室市)・幌茂尻・厚別の三村を加えて和田外五村戸長役場となる。友知(現・根室市)外五村戸長役場を置く。1902(明治35)年柳田牧場(600町歩)開設する。1906(明治39)年4月和田・落石・昆布盛・穂香・幌茂尻・厚別を割いて和田村と改め、二級町村制を施行する。和田村役場を置く。バター製造を開始する。明治末期には鰊漁不漁となり人口が減少する。
 1912(明治45・大正元)年には教育所廃止となる。この頃鮭・鱒・ホッキ貝・アサリを原料とした工藤缶詰所があった。自作農の傍ら牧畜や林業、酪農を営んでいた。
 1932(昭和7)年11月町内地番改正し、大字を廃し36町名となる。1935(昭和10)年6月温根沼の厳島神社造営(現・根室市温根沼213)する。戦後は緊急開拓により入植者が入る。1957(昭和32)年8月根室町と和田村を合併し、根室市が誕生する。1961(昭和36)年10月温根沼橋が鉄橋に架橋される。1962(昭和37)年5月根室〜釧路間の国道が一級に昇格する。12月風蓮湖の白鳥が7053羽を確認する。野付風蓮道立自然公園に指定される。1965(昭和40)年11月春国岱橋竣工する。1970(昭和45)年の人口は、35戸、212人。
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