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熊の湯

住所 目梨郡羅臼町湯ノ沢町

入浴料 寸志
定休日はなし。毎朝5時〜7時は清掃時間で、その時間内に入りに来た人は一緒に掃除をする事になっている。
営業時間 24時間
駐車場  あり(無料)

知床羅臼町観光協会

目梨の由来はアイヌ語の「メナシ」(東方または東隅)で、知床と北方領土を含む一帯を指していたようであり、松浦武四郎は「女那志」と記した。
羅臼の由来は、アイヌ語の「ラウシ」(低いところ・獣の骨のあるところ)からで、この一帯はアイヌの狩猟地であった。羅牛、良牛とも古文書にもみられる。
湯ノ沢町の由来は、以前は羅臼第一、第二、第三町内と三町内に区分されていたが、改正により船見町、本町、富士見町、緑町、栄町、湯の沢町と6つの町名に分かれた。
熊の湯の由来は、昔付近に熊が出没し上流に熊越の滝があることから、当時の町担当者である村元慶蔵氏が「熊の湯」と命名。
国道334号線を羅臼町市街地からウトロ方向に約3.7kmほど。

熊の湯は羅臼川右岸に位置し、町民有志の愛好会によって厳しく管理運営されている野天湯で、地元やすぐ近くにあるキャンプ場を利用するキャンパーを中心にいつも賑わっている温泉である。熊の湯の前身は純天然の「野天風呂」であり古くから利用されているがいつごろからかは定かではない。
1964(昭和39)年、知床国立公園になると9月、羅臼〜ウトロ間の産業道路の起工を見て湯ノ沢地区の開発気運が高まり、1973(昭和48)年に国設羅臼温泉キャンプ場が整備され、1974(昭和49)年には羅臼川右岸の「自然遊歩道」と左岸をつなぐ橋が完成。1978(昭和53)年には泉源から引き湯し、露天風呂を完成させたのがはじまり。
熊の湯の前の駐車場は、車が7台ほど停める事ができるが、満車の時が多い。その場合は、目の前にある細めの道を上がっていけばキャンプ場の駐車場があるのでそこを利用するといいだろう。

橋を渡ると、さらに木で出来た橋がある。橋を渡るとすぐに熊の湯の小さな建物があり、手前が女性用入り口、奥が男性用入り口となる。
周りは木々に囲まれ、名のとおりヒグマが今にも出てきそうな雰囲気だ。(許可を得て撮影しております)

男性用露天風呂は仕切りがないので眺望が素晴らしく、下を流れる羅臼川のせせらぎを聞くことが出来る。(川はあまり見えない)
もともと熊の湯は現在の男性用露天風呂しか無かったのだが、1978(昭和53)年に女性用露天風呂が設置された。
女性用は仕切りがあり、風景を楽しむことは出来ないが空が広く、開放感はあるとのこと。

この温泉には厳しいマナーがあるので、必ず守って入ること。脱衣場には熊の湯入浴十ヵ条が掲示され、マナーを守らない客は容赦なく怒られる。ちなみにバスタオル巻きはもちろんNGである。
ちなみにマナーを守らない客のため閉鎖した野湯も多いのも現状である。モラルが求められているのだ。
野湯を存続するのは大変だということを認識してほしい。

泉質 含硫黄-ナトリウム-塩化物泉、重曹硫黄食塩泉
源泉温度 99度、湯船の温度は夏場41〜43℃・冬場43〜44℃、PH7.3 (中性)
効能 神経痛、筋肉痛、慢性皮膚病、冷え性、切り傷、慢性消化器病、慢性婦人病など。

羅臼岳の麓には、今は湯の沢町なり字名が示すように豊富な湯量と付近の景勝地をかかえ一大温泉郷となっている。
この辺りには、古くから温泉が湧出しており、先住民達も憩の場所として利用していたのであろう。古くから湯治用として地元の人々に利用されていた。温泉露頭は多数あるものの、その大部分は河床に散在したり、高温だが湧出量が少ないなどまとまった湯量が得られなかった。さらに洪水のたびに採湯、引湯が困難となり維持にかなりの苦労があった。

窪田子蔵著の「協和私役」(1857(安政4)年)に「ラウス山其下ニ温泉出ツ夷人病アレハ往テ浴ス頗ル霊アリト云々」とあり、松浦武四郎著の「知床日誌」にも「上に羅牛岳と云神霊著しき岳有、麓に温泉有よし」と記されている。
もちろん当初は露天風呂だったろうが、温泉宿がいつの頃から設けられているかは分かっていない。
本城玉藻著の「根室千島両国郷土史」(1933(昭和8)年)の資料には、「明治21年始めて浴室を設く」とあり、当時の経営者は作田繁蔵であった。
その後1895(明治28)年には、松田作蔵に温泉の権利を譲渡し、再建経営された。
1923(大正12)年、洪水で温泉宿も流出したが、すぐ再建されている。
1925(大正14)年、12月松田作蔵が函館に引っ越すため森野幹造がこれを継承、その後1931(昭和6)年藤野文吾が経営したが、1936(昭和11)年の豪雨で山崩れと洪水のため倒壊流出し、再建はされず露天風呂だけとなった。
しかし、温泉宿をとの声もあり村営で旧羅臼温泉跡に羅臼村営共同浴場を、1954(昭和29)年12月に完成した。翌年10月には増築も行うほど盛況だったようである。
1960(昭和35)年、北見の島田茂によって知床観光ホテルがオープン。
1961(昭和36)年、ボーリングB37、安定した泉源を得るため、湯ノ沢右岸に二本の小口径ボーリングを10数mまで掘削。現在の道指定天然記念物の間歇泉として保護されている。
1962(昭和37)年、7月には、共同浴場横に、町営温泉「らうす荘」がオープンした。
1963(昭和38)年、開発道路ウトロ・ラウス道路工事着工。ボーリングB1、深度130m。
1964(昭和39)年、温泉旅館「花園荘」が地元春日町の小林ツマによってオープン。次いで営林署が保養施設として「しれとこ寮」を開設した。6月1日には、知床半島周辺に位置し、面積は斜里郡斜里町と目梨郡羅臼町にまたがる3万8636haを知床国立公園に指定した。
1964(昭和39)年、ボーリングB0、羅臼荘西方170mの河床に78℃の天然湧泉があった。ここに深度70mまで掘るが、ケーシングを挿入せず孔内は崩壊、埋没し噴気は衰えた。
1965(昭和40)年、ボーリングB2、これはB0の下流19mの河床に深度72.5mまでボーリングした。
1966(昭和41)年、ボーリングB3、これはB0よりB2へ5mほど寄った場所で、集塊岩中の温泉を採取するため深度42mまでボーリングした。
1976(昭和51)年、ボーリングS51、角閃石班岩中の亀裂を探る目的で、B0の上流にて深度191.5mまでボーリングした。
1978(昭和53)年、ボーリングS53、S51より東方約150m、羅臼荘の西側にて深度800mまでボーリング。
1979(昭和54)年、ボーリングS54、S51より西方70mの羅臼川左岸にてボーリング。深度24mで、基盤の第三紀層に入り、46mで熱水と蒸気の噴出。58.5mで大量の熱水、蒸気を噴出、掘削完了し、その後も継続して観測されている。
1980(昭和55)年、ボーリングS55、S54の北方約100mの山麓にボーリング。
1981(昭和56)年、ボーリングNo1、羅臼岳登山口近くで山側に斜めにボーリングするが、失敗。深度は76.7m。間欠泉となったのでバルブを閉める。
1981(昭和56)年、ボーリングNo2、成井農林跡地でボーリング。バルブは閉鎖。深度は79.1m。
1981(昭和56)年、ボーリングNo3、知床大橋下流300mでボーリング。深度は84m。
1981(昭和56)年、ボーリングNo4、知床大橋下流500mでボーリング。深度は63m。
羅臼町史、羅臼町史第二巻(昭和58発行)参考

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