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羅臼権現水

住所 目梨郡羅臼町栄町127番地
TEL 0153-87-2225

羅臼神社

知床羅臼町観光協会

目梨の由来はアイヌ語の「メナシ」(東方または東隅)で、知床と北方領土を含む一帯を指していたようであり、松浦武四郎は「女那志」と記した。
羅臼の由来は、アイヌ語の「ラウシ」(低いところ・獣の骨のあるところ)からで、この一帯はアイヌの狩猟地であった。羅牛、良牛とも古文書にもみられる。
栄町の由来は、以前は羅臼第一、第二、第三町内と三町内に区分されていたが、改正により船見町、本町、富士見町、緑町、栄町、湯の沢町と6つの町名に分かれた。羅臼町の中心は、羅臼川をはさむこの地域で、役場、官公署、病院などが集まっていて、羅臼と言えばこの市街地をさすことが多いようだ。
羅臼町役場から徒歩で約400mほど。

羅臼神社境内に羅臼岳山系の湧水が遙か昔より湧き出しており、2007(平成19)年11月に現在の施設が完成しより利用しやすくなった。
柱は樹齢500〜300年程の櫟(イチイ)を使用、岩は知床の石を組んで配したもの。
保健所の水質検査を毎年実施しているそうで、安心して飲める清らかな水。まろやかで飲みやすく美味しかった。

この羅臼神社は、「起源は遠く安政年間にあり、松前藩の領地なりし頃、目梨漁場を開発に際し、小社を祀り漁業鎮護の神と奉斎されしが始なり、又年代不明なるが住民漁師間に羅臼岳霊峰を航海安全の守護神として山霊を小社に合祀し、羅臼権現と称え奉り信仰あり。羅臼温泉付近に土場と称し、造材、薪山等の木材集積地あり、この地に入山せるに際し、住民権現社にて山神祭を行い霊地の神木を伐り、羅臼川に流送し、造船、家屋の建築材、燃料等の補給を行いたり、これら神の御恵なるを信じ、この里を安住の地として開拓の礎となれり、住民福祉の守護神として御神徳灼なりと伝えり。」と羅臼神社略史にある。
その後定住者が増加したが、その頃はまだ崇める社祠もなくこの小社を氏神にしていたという。
 最初の社殿が出来たのは、1895(明治28)年6月15日、現在地に社殿8坪(本殿1坪、拝殿6坪、向拝所1坪の木造平屋)を造営し、羅臼六十一番地(現・船見町の高台)にあった小社を遷座し、現祭神を奉斎し、羅臼金比羅神社と称した。
1913(大正2)年には、元旦灯明の残火の不始末により社殿を全焼した。
現在は、権現水から左手にさらに登ると、昔の本殿跡がある。

社殿は翌年、1914(大正3)年に再建し、神社の維持管理の必要性から氏子総代制を採用し、久須美伊三郎、佐藤久右衛門、長川万五郎を総代に就任した。
1934(昭和9)年、社殿の老朽化に伴い造営を行い遷座式を行った。
1957(昭和32)年、6月神社本庁統理の認証、同年8月北海道知事の認証を受け、同年11月28日宗教法人羅臼神社となった。
1975(昭和50)年、造営を行い遷座祭を執行し現在に至っている。

ちなみに羅臼町に始めて祭祀がなされたのは、植別神社で1822(文政5)年8月場所請負人高田屋金兵衛ウエンベツ(植別)に漁場を開設するにあたり、漁場小頭太蔵、徳次(南部佐井村(現・青森県下北郡佐井村)出身)に命じ、大工佐之助(南部出戸(現・青森県上北郡六ヶ所村出戸)出身)をして漁場繁栄を祈願し、オロマップの高台に小社を建立した。1841(天保12)年2月には、讃岐国象頭山鎮座金比羅宮社寺金光院より、願望成就の祈祷霊璽を奉戴し祀る。1859(安政6)年3月には、稲荷本宮より正一位稲荷大明神御分霊を奉戴し祀る。これが羅臼の神社の起源となっている。
1882(明治15)年1月には、羅臼岳山霊を羅臼山大権現位と称し祀る。
植別神社は、1892(明治25)年に藤野漁場支配人川越善兵衛、植別神社より御神体を三社神社に遷座した。住所は目梨郡羅臼町植別村字オタヅネマップ(現・目梨郡羅臼町麻布町)旧植別神社跡は、羅臼町指定文化財である。
1895(明治28)年には、 現在の石碑がある位置(目梨郡羅臼町峯浜町1)に新社殿を造成し遷座する。
1918(大正7)年11月に新社殿を造成。
1972(昭和47)年、目梨郡羅臼町峯浜町307番地(旧植別小学校の裏)に移転した。

佐藤久右衛門翁の碑
宮城県出身の久右衛門は、1876(明治9)年根室から移住、植別村スネトビニウス(現・目梨郡羅臼町共栄町)に住んだ。
人跡未踏の地で漁業を営み、漁民に漁業の指導も行い漁業の礎を築いたのである。
明治中期には、漁船繋留のため私財を投じ、沖合の岩礁を造作、海岸に木工沈床を施し埠頭を構築した。以来「久右衛門の澗」と呼ばれて漁民に利用されたという。
翁は数々の業績により開拓功労者として表彰され、羅臼神社の境内に記念碑を建立した。
石が風化し文字も判読困難の為、法人50周年記念事業として、説明文の石碑とともに2007(平成19)年に再建した。


碑文
羅臼開拓功労者佐藤久右衛門表彰記念碑
大正五年九月五日建之 有志一同
      記
佐藤久右衛門翁(宮城県出身)は、明治九年
羅臼に移住され、人跡未踏の地に於いて漁
業の先駆者として、産業の発展に力を尽く
した。明治中期に埠頭(久右衛門の澗)の
構築に巨万の資を投じ、以て船舶の出入り
に便益する等功績著しく、植別村(羅臼町)
戸長より開拓功労者として表彰され、有志
が記念碑を建立した。
この石材は、翁が国後島から船で運んだも
のの一本を使用したと言われている。
平成十九年再建
羅臼神社法人設立五十周年記念事業


1618(元和4)年、東隅夷(メナシ)の酋長螺羅稀阿犬猿虎の皮を松前氏に献上するとあり、「メナシ」の言葉が初めて出る。
1701(元禄14)年、霧多布場所の開設、知床の夷人この地で交易をする。
1774(安永3)年、飛騨屋久兵衛霧多布外三場所の請負人となる。
1789(寛政元)年、寛政蝦夷の乱起る。クナシリ、メナシのアイヌ和人71名を殺害する。
1790(寛政2)年、根室場所開設される。
1791(寛政3)年、飛騨屋が請負人を免ぜられ、村山伝兵衛に場所差配を命じる。
1796(寛政8)年、村山伝兵衛は根室、国後場所を罷免され、小林屋、熊野屋の共同差配を命じる。
1812(文化9)年、根室場所を材木屋七郎右エ門の請負となる。
1816(文化13)年、根室場所を高田屋喜兵衛、伊達林右エ門、栖原半助、亀屋武兵衛の共同請負となる。
1818(文政元)年、根室場所を高田屋単独の請負となる。
1822(文政5)年、高田屋金兵衛「オロマップ」の高台に小社を建立し、植別神社の起源となる。
1832(天保3)年、根室場所は藤野喜兵衛の請負となる。「ルシヤ」に鮭鱒場一ヶ所開設する。
1840(天保11)年、根室場所は山田屋文右衛門の請負となる。
1845(弘化2)年、根室場所は和賀屋宇右エ門、浜田屋兵四郎の共同請負となる。
1849(嘉永2)年、根室場所は藤野喜兵衛(四代目)の請負となる。標津場所の名称が出る。
1850(嘉永3)年、藤野喜兵衛は、「タッカルウス」「レブンシラリ」に鰊、鮭小舌網場二ヶ所新設する。
1858(安政5)年、5月松浦武四郎が知床探索の途次「ウエンベツ」に立ち寄る。
1859(安政6)年、会津藩の警備管轄となる。
1869(明治2)年、蝦夷を改めて北海道として11国86郡を定め、北見国斜里郡となる。
1871(明治4)年、5月仙台藩の支配となる。8月仙台藩の支配終わり、根室開拓使出張所の所轄となる。
1872(明治5)年、4月戸長が置かれ、上林藤右エ門が標津、目梨郡の戸長に任命される。
1873(明治6)年、7月根室支庁出張所を「野付」に置き、目梨、標津、野付三郡を管轄する。
1876(明治9)年、9月漁場持ち制を廃止し、一般に開放される。佐藤久右衛門が漁場を自営し定住する。
1882(明治15)年、1月開拓使根室支庁を廃し、根室県を置く。
1888(明治21)年、羅臼温泉に初めて温泉宿が設けられる。
1891(明治24)年、鱈、鰈、大平目釣り漁はじまる。越中方面からの定住者が増えだす。
1893(明治26)年、6月西井賢誠師(誠諦寺)民家を借りて寺子屋を開設。教育の始まりとなる。
1897(明治30)年、春苅古丹にて医師川上又吉が私塾を開く。
1901(明治34)年、標津、羅臼間道路開通する。6月羅臼、春苅古丹に駅逓設置する。9月標津外六ヶ村戸長役場より分村し、植別村戸長役場を設置する。
1905(明治38)年、羅臼昆布が始めて大阪方面に出荷される。
1907(明治40)年、戸長が半島横断路線(羅臼〜岩尾別間)の踏査。
1916(大正5)年、9月開拓功労者佐藤久右衛門表彰記念碑を建立。羅臼〜サシルイ間道路新設。
1929(昭和4)年、9月標津〜羅臼間に乗り合い自動車運行される。
1930(昭和5)年、7月植別村を羅臼村に村名変更する。
1945(昭和20)年、8月羅臼〜ウトロ間の防衛道路完成(現・登山道)。11月国後島より脱出の漁民陸志別原野に入植する。
1962(昭和37)年、7月共同浴場横に、町営温泉「らうす荘」がオープンした。
1963(昭和38)年、12月「ひかりごけ」北海道天然記念物に指定される。開発道路ウトロ・ラウス道路工事着工。
1964(昭和39)年、1月羅臼温泉郷に頻発地震起る。5月知床半島巡り観光船就航する。6月「知床」国立自然公園に指定される。面積は斜里郡斜里町と目梨郡羅臼町にまたがる3万8636haを知床国立公園に指定した。
1968(昭和43)年、3月羅臼間歇泉が北海道天然記念物に指定される。
1970(昭和45)年、松浦武四郎の歌碑(マッカウス)建立する。
1974(昭和49)年、3月知床突端のフーセン岩が流氷で押し倒されていることが確認される。
1978(昭和53)年、8月露天風呂「熊の湯」完成。町立しおかぜ公園完成。
1981(昭和56)年、1月町民スキー場スキーリフト運転開始。
1982(昭和57)年、12月ビジターセンター完成。
羅臼町史、羅臼町史第二巻参考

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