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ワッカ原生花園

住所 北見市常呂町栄浦242-1

北見観光協会

ワッカネイチャーセンター

常呂町は、2006(平成18)年3月5日に北見市、留辺蘂町、端野町と合併し、北見市常呂町となった。
常呂の由来は、アイヌ語の「トー・コロ」(沼のある所)から。
「ワッカ」とは、アイヌ語で「ワッカ・オ・イ」(水が・ある・ところ)という意味で、砂州の中ほどに真水の湧く沼があったことに由来する。
サロマ湖の東の端、栄浦からサロマ湖の東側砂州の先端までがワッカ原生花園である。
ワッカ原生花園がある栄浦地区は、遺跡の館や東京大学の実習施設などがあり、ホタテと遺跡とカーリングの町として紹介されている。
1958(昭和33)年7月に網走国定公園に指定され、2001(平成13)年10月北海道遺産に選定された。
約700ha、幅は200〜700m、全長約20kmにおよぶ細長い砂州によって、オホーツク海とサロマ湖を隔てる日本最大の海岸草原。
多様な生態系を形成していて、300種以上の草花が咲き、春にはエゾエンゴサク・ツルキジムシロなど、夏にはエゾスカシユリ・ハマナスなど、秋にはツリガネニンジン・アッケシソウ(サンゴソウ)などが見られ、様々な野鳥が生息している。
1991(平成3)年にはワッカの自然環境を保護するため、一般車両の乗り入れを規制した。
入り口には、ネイチャーセンターがあり、ワッカ原生花園の案内・休憩などができる環境保全施設がある。
レンタサイクル、観光馬車「ドリームワッカ」などもあり、園内をゆっくり堪能できる。
馬車は、約40分ほどのコースを回ってくれるが、毎週水曜日は休みである。
1921(大正10)年、大町桂月来遊し三里浜から常呂迄の道路を竜宮街道と命名した。対岸の砂州には、龍宮台展望公園があり、大町桂月が詠んだ碑もある。
この竜宮街道は、砂洲の上の道が戦前の国道で、大町桂月はその光景を「竜宮のごとし」と感嘆した。
今でこそ海でつながっているが、それは人工的に砂洲の一部を掘削し、水路を設けたためである。


網走国定公園とは、北海道の北東部にあって、オホーツク海に面し、網走市、大空町、斜里町、小清水町、佐呂間町、北見市、湧別町の2市5町にまたがる国定公園で、面積は372.6km2、37,000haにも及ぶ。
1958(昭和33)年7月1日に指定された。
サロマ湖・能取湖・網走湖・藻琴湖・涛釣湖などの7つの海跡湖などが含まれている。

北海道遺産とは、北海道に関係する自然・文化・産業などの中から、次世代へ継承したいものとして北海道遺産構想推進協議会が選定した有形無形の財産群である。

大町桂月(おおまちけいげつ)とは、1869(明治2)年3月6日(1月24日)- 1925(大正14)年6月10日、詩人、歌人、随筆家、評論家である。
1869(明治2)年、高知市北門筋(現・高知県高知市永国寺町4-10)に元土佐藩士の息子として生まれる。
1896(明治29)年、東京帝国大学国文科卒業。
1899(明治32)年、島根県で中学教師となる。
1900(明治33)年、博文館に入社し、1906(明治39)年まで在籍する。
終生酒と旅を愛し酒仙と称され、晩年は遠く朝鮮、旧満州(現・中国東北部)まで足を延ばしている。
北海道の層雲峡や羽衣の滝の名付け親でもあり、道内各地を旅行し紀行文で紹介した。ちなみに大雪山系黒岳の近くには、彼の名にちなんだ桂月岳という山がある。
1925(大正14)年、4月に蔦温泉に移り住むが、胃潰瘍のため死去、57歳。


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