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紋別公園

住所 紋別市花園町8丁目
展望台の開館時間 8時45分〜17時30分

紋別観光振興公社

紋別の由来は、市内中央部を流れる藻鼈川(もべつかわ)を指すアイヌ語の「モン・ペット」(静かである・川)からきている。「オホーツク紋別」または「北見紋別」と呼んで区別することが多い。これは、日高支庁の旧門別町(現・日高町)と読みが同じだったためである。
花園の由来は、当時この辺りはアイヌ語で「オクチシ」(首の付け根のように窪んでいる)「ルーチシ」(峠道)現在の潮見町・落石町一帯を指すようである。花園になったいきさつはわからなかった。
紋別市役所そばの新市街基線通りの潮見1丁目・幸町1丁目交差点から国道238号線方向に約140mを左折し住宅街を約260mほど進むと紋別公園の門柱があるので約230mほど進むと左手に駐車場がある。

紋別市中心部の高台にある公園で、人工的に整備された部分と手つかずの自然を併せもつ、1951(昭和26)年から開設されている公園。
流氷展望台が目印で、市街及びオホーツク海を一望でき、冬は流氷が見渡せる絶好のポイントとなる。
開放時間 8時45分〜17時30分 高台にあるので展望台の周りから見ることも可能である。


オホーツク庭園が公園に隣接していて、人工の滝が流れ、春には梅や桜の花が咲き乱れる日本庭園。


紋別市にとって漁業の繁栄と港の整備は大きな要となっていて、発展を支えた陰には、数多くの尊い犠牲があった。
こうした港湾工事や漁船事故で殉職された方々の霊を弔う想いから建立された慰霊碑。
港湾殉職者慰霊碑(1969(昭和44)年6月建立)


海難殉職者慰霊碑(1965(昭和40)年7月建立)


紋別公園は冬期間、12月下旬〜2月末までライトアップされている。とても綺麗なのでぜひ一度幻想的な園内を散策してもらいたい。防寒は必須。



紋別は、1872(明治5)年紋別郡10ヶ村の村名きまりモンベツ村と呼称。紋別郡戸長に盛田辰蔵任命。藤野伊兵衛駅逓所を開設。1875(明治8)年村名を漢字に改め紋別村となる。1880(明治13)年紋別戸長役場開設し、この年を「開基の年」と定める。1909(明治42)年沙留村、瑠椽(るろち)村の2村を分離し、藻別村を合して2級町村制を施行。
 1919(大正8)年紋別町と改称される。1920(大正9)年紋別電灯会社設置されガス発電により町内に点灯。1921(大正10)年1級町村制施行。
 1930(昭和5)年紋別市街の大火災発生。1959(昭和34)年字名改正する。
花園町は、1959(昭和34)年からの字名で、当時は1〜7丁目。1981(昭和56)年からは1〜8丁目となった。元は紋別市大字紋別村の一部だった。市街地に近い住宅街として発展してきた。



1661(寛文元)年、「元禄御国絵図」に「ユウベチ」の地名が記されている。
1685(貞享2)年、松前藩宗谷場所を開設し、紋別は宗谷場所に属する。
1790(寛政2)年、宗谷場所を3分割し樺太・斜里場所が独立。紋別番屋を開設する。
1801(享和元)年、エゾ地御用掛松平忠明に随行の磯谷則吉が紋別番屋に4日間滞留する。
1807(文化4)年、蝦夷地全島幕府の直轄となる。宗谷の津軽藩士に水腫病発生し翌春にかけて多数の死亡者出る。
1821(文政4)年、蝦夷地松前藩に復領となる。
1846(弘化3)年、松浦武四郎北見沿岸を踏査し紋別に寄行。
1855(安政2)年、西蝦夷地神威岬からオホーツク海岸知床岬までと樺太は秋田藩の警備持場となる。
1857(安政4)年、紋別御用所でカッペル(ストーブ)2器取り付ける。
1859(安政6)年、蝦夷地を奥羽6大藩に分領し紋別は会津藩領となる。
1866(慶応2)年、会津藩士籾山省介北見国代官として紋別に着任。翌年帰藩。
1869(明治2)年、開拓使が置かれ、蝦夷地を改めて北海道とし、11国86郡を定め北見国のうち紋別郡が誕生。紋別郡は和歌山藩支配地となる。(翌8月免ぜられる)紋別場所は函館使庁産物掛の管理となる。
1872(明治5)年、紋別郡10ヶ村の村名きまりモンベツ村と呼称。紋別郡戸長に盛田辰蔵任命。藤野伊兵衛駅逓所を開設。
1875(明治8)年、村名を漢字に改め紋別村となる。
1876(明治9)年、駅逓局所管5等紋別郵便取扱所開設。紋別、斜里、網走に根室から官馬10頭配備。
1880(明治13)年、紋別戸長役場開設し、この年を「開基の年」と定める。
1882(明治15)年、開拓使を廃止し、全道を札幌、函館、根室の3県に分割。
1886(明治19)年、三県制を廃し北海道庁設置。
1891(明治24)年、網走から紋別経由稚内に達する電信線が架設され、紋別郵便局に電信局を併置。
1892(明治25)年、紋別簡易小学校が開校。
1897(明治30)年、紋別外9カ村戸長役場から湧別村分離。郡役所を廃し支庁を置く。
1899(明治32)年、根室裁判所紋別出張所設置。山梨県人伏屋よしの質屋業開始(質屋のはじまり)
1900(明治33)年、渚滑村分村し、渚滑村戸長役場を開設。小向官設駅逓所開設。
1904(明治37)年、紋別名寄間道路開通。
1905(明治38)年、菅原栄之進、八十士金鉱(現・紋別市八十士付近)を発見。
1906(明治39)年、渚滑村戸長役場を廃し2級町村制を施行。
1907(明治40)年、紋別外1ヵ村漁業組合設立。藻別村で初の水田試作行う。
1909(明治42)年、沙留村、瑠椽(るろち)村の2村を分離し、藻別村を合して2級町村制を施行。
1915(大正4)年、渚滑村役場庁舎20線に移転。沖野永蔵、羽柴義鎌の両名鴻之舞元山口之沢で転石を発見。(鴻之舞金山発見のはじまり)
1916(大正5)年、黒川外7名沼の上鉱山を発見。鴻之舞金山は8名の匿名組合で操業を開始。
1917(大正6)年、紋別市街に特設電話架設。鴻之舞金山は90万円で住友本社と売山契約成る。
1918(大正7)年、渚滑村から滝上村が分離独立。
1919(大正8)年、紋別町と改称される。
1920(大正9)年、紋別電灯会社設置されガス発電により町内に点灯。
1921(大正10)年、国鉄名寄本線全線開通。1級町村制施行。
1923(大正12)年、紋別港修築工事5ヵ年継続事業で着工。11月渚滑〜北見滝上間を渚滑線として開業。
1930(昭和5)年、紋別市街の大火災発生。
1931(昭和6)年、池沢享三王鉱山開発に着手。北防波堤灯台完成。
1932(昭和7)年、渚滑村から下渚滑村分村。
1933(昭和8)年、三王鉱山を住友が買収。
1934(昭和9)年、鴻之舞鉱山ダム決壊し鉱毒事件発生。
1937(昭和12)年、渚滑村を上渚滑村に村名改称。
1938(昭和13)年、池沢憲一音羽鉱山を発見。知見喜一郎元紋別銅山を発見、住友と共同経営。
1940(昭和15)年、下渚滑村を渚滑村に村名改称。八十士水銀鉱発見。
1942(昭和17)年、住友鉱業八十士水銀鉱山の開発に着手。
1948(昭和23)年、鴻之舞鉱業所操業再開。
1954(昭和29)年、市制施行記念式典挙行。
1955(昭和30)年、第1回もんべつ観光港まつり開催。
1959(昭和34)年、紋別観光協会創立。三菱沼の上鉱山閉山。
1960(昭和35)年、紋別灯台点灯式挙行。
1963(昭和38)年、紋別空港起工式。第1回紋別流氷まつり開催。
1964(昭和39)年、紋別市立オホーツク青年の家開所。「流紋岩」市指定文化財となる。
1965(昭和40)年、北海道大学低温科学研究所附属流氷研究施設開設。小向原生花園が市指定文化財となる。
1966(昭和41)年、紋別空港完成。
1967(昭和42)年、大山展望台完成。
1968(昭和43)年、紋別市郷土博物館落成。
1970(昭和45)年、道道紋別上川線国道(273号線)に昇格。
1971(昭和46)年、紋別駅落成。(名寄本線)
1973(昭和48)年、鴻之舞鉱山閉山。
1975(昭和49)年、紋別港、重要港湾に昇格。流氷展望台完成。
1978(昭和53)年、海底ボーリング船第3白竜による紋別沖の石油試掘。
1979(昭和54)年、開基100年、市制施行25周年式典挙行。オホーツク森林公園オープン。
1980(昭和55)年、第1回もんべつ海産まつり。
1983(昭和58)年、オホーツク庭園開園。
1984(昭和59)年、国道273号線浮島トンネル開通。
1985(昭和60)年、国鉄渚滑線廃止。
1987(昭和62)年、流氷砕氷船「ガリンコ号」就航。
1989(平成元)年、4月JR名寄本線廃止。道立オホーツク流氷科学センター、健康プール建設に着手。
1991(平成3)年、道立オホーツク流氷科学センター(ギザ)オープン。
1993(平成5)年、10月大山山頂のテレビ中継局送受信アンテナ(オホーツクスカイタワー)が完成、試験電波発射。
1994(平成6)年、4月大山山頂園のオホーツクスカイタワーオープン。
1995(平成7)年、4月元紋別ガリヤ地区が、建設省の「道の駅」に指定される。
1996(平成8)年、2月世界初の氷海観測展望施設「オホーツクタワー」と親水防波堤がオープン。
1997(平成9)年、1月流氷砕氷船「ガリンコ号U」就航式。9月中渚滑地区開基百年を祝う記念式典挙行。
1999(平成11)年、5月人工海水浴場「オホーツクもんべつホワイトビーチ」オープン。10月上渚滑地区開基百年記念式典挙行。11月オホーツクとっかりセンター「ゴマちゃんランド」オープン。11月紋別空港が新空港へ移管のため廃止。11月新オホーツク紋別空港開港。(滑走路2000m)
2002(平成14)年、4月紋別市立博物館がオープン。
2003(平成15)年、4月海鮮・生鮮市場アミューズメント複合店「オホーツク氷紋の駅」オープン。
2004(平成16)年、8月紋別市制施行50周年記念式典挙行。10月「流氷とガリンコ号」が北海道遺産に認定。
2008(平成20)年、5月まちなか芸術館オープン。10月上藻別駅逓が登録文化財に。
2012(平成24)年、6月市有地でメガソーラー(大規模太陽光発電所)建設の実施協定をソーラーウェイ株式会社と締結。旭山動物園から逃げ出したヨーロッパフラミンゴ、コムケ湖に滞在。(7月27日〜10月29日)
新紋別市史 上巻、下巻参考

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