石北峠住所 北見市留辺蘂町富士見82 石北峠頂上北の道ナビ 北見観光協会 北見市の由来は、松浦武四郎が命名した国名「北見国」からで、「北見」の由来は、この地方域の昔の通称が「北海岸」と呼ばれ、快晴の日に樺太が「見」える事から、一字ずつとったもの。 留辺蘂の由来は、アイヌ語の「ルペシペ」道・それに沿って下る・もの(川)が由来。2006(平成18)年3月5日に北見市、常呂町、留辺蘂町と新設合併し北見市となった。 富士見の由来に関しては、1940(昭和15)年、町内に23字を設置し、・・・・川北、大和、滝湯、厚和、富士見となる。1913(大正2)年、久保内某が入植したのがこの部落の草分けとなり、標高291mの北見富士の麓東西6kmほどが富士見地区である。武華(ムカ)の意味は、幕末のアイヌにおいても、すでにその意味がわからなくなっていた地名のようである。 国道39号線沿いにあり、層雲峡から北見方向に約22.6km。道の駅 おんねゆ温泉から層雲峡方向に約36.0kmほど。 上川郡上川町と北見市を結ぶ国道39号線の峠で、最高地点の標高は1050m。旧国名、石狩国と北見国を結ぶことからこの名がついた。 現在は、上川総合振興局とオホーツク総合振興局の管轄地域の境界線の一部となっている。 現在は、旭川紋別自動車道の整備が進み、利用する車が増えたこともあり、石北峠の利用は顕著な減少傾向である。 かつては交通の難所だったが、年々改良工事や、武華トンネルの新設により道路線形が改善されたが、内陸部で標高も高いために冬の気象条件は過酷で、現状でも北見側の勾配がきつく、冬の悪天時は通行止めなどの交通規制がされる場合があるのと、事故も多い。(シカとの衝突も多い) また、峠の入口にあたる上川市街付近・留辺蘂市街付近・北見側の麓では、峠道の状況を知らせる道路情報ラジオ(1620kHz)が流されている。 頂上には駐車場・土産物屋・トイレ・展望台がある。 以前は、山頂付近の茶屋・土産物屋5軒の店舗があったが、2007(平成19)年8月28日に火災が発生。周辺市町村から遠く離れた峠だったため全店舗は焼失。消防車がたどりついた頃には燃え尽きたあとだったという。 2010(平成22)年現在では改築され、ソフトクリームや揚げいもなどを購入することができたが、2015(平成27)年時点では不明である。(交通量が減ったこともあり閉鎖している可能性が高い) 峠頂上には、展望台がある。 北見側の展望を望むことができ、トドマツ・ダケカンバなどの樹海を眼下に、大雪山連峰・阿寒の山並みまでも望むことができる。 展望台手前には、尾崎天風の顕彰碑がある。 傲然と両手を背広の胸に突っ込んでいて、迫力ある面構え。 碑文には、前代議士であった尾崎天風が留辺蘂上川線開削に尽力したことに感謝し、1959(昭和34)年6月、上川町長野田晴男・留辺蘂町長佐野準一郎がこの像を贈ったとある。 樹霊供養の碑 洞爺丸台風で倒れた木々の供養の為建てられた碑。 |