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林重右衛門墓碑

住所 苫小牧市字錦岡238番地

苫小牧市

社団法人 苫小牧観光協会

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蝦夷地のおけるイワシ漁は、安永年間の1772(明和9年・安永元)年〜1781(安永10年・天明元)年頃に、勇武津、白老海岸にて開始されていた。
樽前浜でも、文政年間の1818(文化15・文政元)年〜1829(文政12)年頃、イワシの〆粕の生産が盛んだった。
1859(安政6)年、イワシの〆粕が上等品として全国各地に出荷される。
1845(弘化2)年、松浦武四郎がこの地を訪れている。
「初航蝦夷日記」の中に、「この漁場の経営は、場所請負人の資金と仕込みを受けた網元が大勢の出稼ぎ漁夫を引きつれ来住し営まれる。漁民の出身は、松前・箱館・津軽・下北半島・アイヌの使役など。
樽前浜は、当時盛況で商人の出店や茶屋もあったほどで、その繁栄は東部第一なり。」と記述している。

この墓石は、1935(昭和10)年、このあたりで漁業をしていた大久保一郎(明治34年生まれ)が、倒れていて半ば土に埋まっていた墓石を見つけたのが始まり。
昭和50年代には、この墓石に関心が高まり調査をする。
石に刻まれている林重右衛門は、南部異国潤(青森県下北郡風間浦村易国間)の人で漁業に従事していた。
1801(享和元)年生まれで1832(天保3)年、父の死で家督を継ぐ、その頃網元として樽前浜で下北地方の出稼ぎ漁夫を指揮した。
1839(天保10)年、39歳の若さで病死する。
この墓石は、箱館の場所請負人、井筒屋大橋久右衛門が弔うために建立したもので、江戸時代末期のイワシ漁の事実を証明するものとして大変重要であり、1982(昭和54)年7月4日、苫小牧市指定有形文化財に指定される
現在墓石は、1839(天保10)年だけ見え風化していて判読困難。
そばには使われなくなって久しい石造りのサイロが立っているので分かりやすいかと思います。
苫小牧市博物館にもこれにまつわる資料が展示されている。


松浦武四郎とは、1818(文化15)年2月6日(3月12日)〜1888(明治21)年2月10日没
江戸時代から幕末・明治時代にかけて活動した日本の探検家、浮世絵師。
蝦夷地を探査し、北海道という名前を考案し「北加伊道」とつけた、後の北海道です。
1845(弘化2)年、初めて蝦夷地を訪れる。
この時の身分は、幕吏ではなく江差の商人を名乗って東西蝦夷地を探検し、『初航蝦夷日誌』を残している。
1850(嘉永3)年に3回の調査の記録を「初航蝦夷日誌」(全12冊)、「再航蝦夷日誌」(全14冊)、「三航蝦夷日誌」(全8冊)という題でまとめている。
これらの日誌には、蝦夷地の地形・地名・動植物・アイヌ民族の姿・松前藩による蝦夷地支配の実態などが詳細に記録されている。

井筒屋大橋久右衛門
アイヌへの商品・資材・諸産物の海上運送・魚場を開き、漁具の改良・漁獲物の加工を手がけ、漁師に資金を貸し海産物王国の基礎を築いたそうだ。

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