9600形蒸気機関車住所 斜里郡斜里町本町 町民公園NPO法人 知床斜里町観光協会 斜里の由来はアイヌ語の「サル」、「シャル」(アシの生えているところ)より転訛したもの。 本町(ほんまち)は、当初斜里原野・斜里と呼ばれていたが、1953(昭和28)年に市街地の字名改正され「もとまち」から「ほんまち」へと変更になった。1990(平成2)年斜里市街地町名地番改正した際に、朝日町の一部と港町の一部を「本町」(ほんまち)とした。ほんちょうにすると言う議論もあったようだが、日常的に使われてきたほんまちにしたものである。 国道244号線と道道92号斜里停車場線の交差点から約900mの交差点を右折、約600mほど進み、斜里町役場の隣の町民公園内にある。 大正時代の名機である「9600形」。主に北海道などで石炭運搬貨物牽引用として活躍した。野外保存で屋根は無い。整備は行われているが、腐食は進行している感じだった。 説明板 この蒸気機関車は、大正2年(1913年)から昭和16年(1941年)までの間に量産された 貨物用機関車です。キューロクとかクンロクの愛称で呼ばれ、合計784車両が川崎造船所 などで製造されました。ボイラーの位置が高く火床の面積を広くとっているのは、たくさ んの貨車を引っぱるために大きな馬力を必要としたからです。そのため煙突が短く、ドーム が平たく、動輪が小さくなっているのが特徴です。四国を除いた全国で活躍していましたが、 効率の良い電気機関車やディーゼル機関車が使われるようになり、使命を終えました。 蒸気機関車 形式 9600形 番号 59683号 製造 大正11年(1922年)6月26日 機関車重量 (燃料を入れた運転整備重量)60.35トン (空車重量)54.83トン 炭水車重量 (燃料を入れた運転整備重量)34.50トン (空車重量)15.50トン 最大馬力 980馬力 廃車 昭和50年(1975年)6月25日 運転総キロ数 2.084.672km(地球52周に相当) <59683号の経過> 大正11年(1922年) 木曽福島機関庫(長野)所属し活動を開始。その後、金沢、福井、糸魚川機関庫に所属し、名古屋鉄道管理局内各線を走る。 昭和8年(1933年) 北海道へ移る。倶知安、長万部機関区に所属。昭和10年には、鹿児島での陸軍大演習に参加する。 昭和14年(1939年) 滝川機関区に所属。以後30年間、道央部を走る。 昭和44年(1969年) 帯広機関区に所属。広尾線で貨物列車のけん引、貨車の入換えに従事する。 昭和50年(1970年) 廃車 この蒸気機関車は、斜里町在住のSL愛好者の努力により整備され、昭和53年8月から 町民公園内に、永く保存されることになりました。 斜里町 ここからすぐ近くの知床博物館駐車場には、旧国鉄時代に活躍した9600形式蒸気機関車の主動輪がある。 |