マッカウス洞窟住所 目梨郡羅臼町共栄町105番地現在は通年を通してみることができない。 知床羅臼町観光協会 目梨の由来はアイヌ語の「メナシ」(東方または東隅)で、知床と北方領土を含む一帯を指していたようであり、松浦武四郎は「女那志」と記した。 羅臼の由来は、アイヌ語の「ラウシ」(低いところ・獣の骨のあるところ)からで、この一帯はアイヌの狩猟地であった。羅牛、良牛とも古文書にもみられる。 共栄町の由来は、アイヌ語の「スネトビニウス」(1本のイタヤカエデの木がある所)字名改正前は共同地とも言われていたが、改正により共栄となった。 マッカウスとは、アイヌ語の「マカウシ」蕗(ふき)の多い所。 目梨郡羅臼町本町30番1(国道334号線と国道335号線の起点)から道道87号知床公園羅臼線を相泊方向に約1.8kmほど進んだトンネル手前を右折するとあるが、現在は見ることができない。 ちなみに、マッカウス洞窟は岩盤剥離の恐れがあるため一部立ち入りを禁止していたが、岩塊内部の調査の結果、亀裂が発見され崩落の危険があるため、2014(平成26)年3月より全面立入り禁止となっている。 撮影日は2013(平成25)年8月である。 マッカウス洞窟では、ドラマ「北の国から」2002遺言の純と結のデートのロケで使用された場所でもあり、この洞窟内部には、北海道指定天然記念物の1つ、幻想的な光を放つヒカリゴケが自生している。 羅臼のは規模も大きく、学術的にも貴重なもので広さ420平方mに及ぶ。 マッカウス洞窟のヒカリゴケは、1941(昭和16)年に発見され、1963(昭和38)年12月24日北海道指定天然記念物に指定され、羅臼八景にも選ばれている。1987(昭和62)年には周辺整備を行い公園化されているが。現在は見ることが出来ない。 ちなみに区画歩道以外への立ち入りは禁止されているので注意してほしい。 ひかりごけは小規模ながら、羅臼町郷土資料館で見ることが出来るので、立寄ってみるのもいいだろう。 説明板 北海道指定天然記念物 羅臼のひかりごけ 「ひかりごけ」はヨーロッパ・シベリア等北 半球の寒帯・亜寒帯に広く分布し、日本では長 野県千畳敷洞窟・埼玉県吉見百穴等が有名で ある。北海道においては北緯四十三度〜四十 四度に集中し、中性から弱酸性の火山性土壌 を好んでいる。「羅臼のひかりごけ」は親の細 胞である胞子体と子の細胞である原糸体から なる数ヶ所のコロニー(繁殖域)によって形成 され、百〜百五十ルクスの範囲に集中している。 当ひかりごけは、国内では最大規模のもので、 洞窟内に生息している「コヨツバゴケ」・「エ ビゴケ」等と共に、氷河期のレリック(遺存体) として希少なものである。 昭和三十八年十二月二十四日指定 このマッカウス洞窟には、忘れてはならない人の碑がある。 松浦武四郎は、1858(安政5)年4月27日に根室を出発、アイヌ数人が案内人として同行し、シュンベツ(現・尾岱沼)、ノツケ(現・野付半島)、シベツ(現、標津町)、を踏査し当時のウエンベツ(現・峯浜町)にたどり着いたのは5月3日のことだ。 5月4日、出発するも海岸に大岩が沢山あり歩行困難になり、船にて発つ。海岸沿いをチトルエ(羅臼町共栄)へ、ラウシ(現・羅臼町)まで来た時、海が荒れてきたので、マッカウス洞窟前の浜に上陸する。 「マカウシ(マッカウス)蕗台(マカヨ)多き義也。船を午過チトラエを過ぎてチトラエに入。小川、番屋、蔵二棟あり、風波荒きが故上陸す。此所番やは崩たる故上に大なる窟の有に入て宿す。其岩には岩管、浜薺、岩桜草、紅白を接咲たり。今宵は夕節句のことなるにかかる異郷に寐ることぞと思ひ、仮寝する窟におふる石小管葺し菖蒲と見てこそはねめ、等戯れ、岩壁に記し置ぬ。扨夜更るや我等が喰て捨置し魚骨等を、熊出来りてバリバリと喰ふ其音にはいと物寂くぞ覚たり。」 松浦武四郎野宿の地 仮寝する 窟におふる 石小管 葦し菖蒲と 見てこそはねめ 安政五年五月四日 武四郎 5月4日の夜、マッカウス洞窟で野宿をし、この歌を洞窟の壁に書いたそうだ。 5月5日船で発ち、半島沿岸を調査し半島の突先を廻り、斜里町に至る「知床日誌」1863(文久3)年を著した。 説明板 松浦武四郎について 文政元年(一八一八年)伊勢国(現在の三重県) 川南須川村に生まれた松浦武四郎は若い頃か ら日本全国を歩き回り、後に北海道や樺太に 渡り安政ニ年(一八五五年)以降は幕府から蝦 夷山川地理取調を命ぜられ、当時の北海道(蝦 夷地)の状況を書いた本を多数著している。 文久三年の著書「知床日誌」には五月五日に マッカウスの洞窟で野宿したところ、洞窟の 壁に岩管やハマナス等の草花が咲いていたの で 石碑の詩を書き残したとしている。また、 夜中に熊が出てきて捨てた魚骨をバリバリ食 べるので心細い思いをしたとも記されている。 なお、明治二年(一八六九年)九月に命名され た「北海道」という地名は彼が探検中に使 っていた「北加伊山人」という雅号から用いら れたもので、武四郎が名付け親である。 平成七年一月 羅臼町教育委員会 洞窟のそばには、波切不動寺があり境内の滝には不動明王が鎮座している。 宗派は高野山真言宗。開基は1953(昭和28)年、開基者は西谷浄心。寺院本尊は不動明王。 住所 羅臼町共栄町106−1 北海道八十八ヶ所中最も東に位置し、波切不動明王は、本堂へ上がる階段手前右側のお堂に祀られている。 海上安全などの諸祈願所として開かれて以来、町内外の漁業者を中心に信仰されている。滝は波切不動寺の滝と呼ばれているようで、お寺に入る前の禊(みそぎ)の役目を果たしているとのこと。 1618(元和4)年、東隅夷(メナシ)の酋長螺羅稀阿犬猿虎の皮を松前氏に献上するとあり、「メナシ」の言葉が初めて出る。 1701(元禄14)年、霧多布場所の開設、知床の夷人この地で交易をする。 1774(安永3)年、飛騨屋久兵衛霧多布外三場所の請負人となる。 1789(寛政元)年、寛政蝦夷の乱起る。クナシリ、メナシのアイヌ和人71名を殺害する。 1790(寛政2)年、根室場所開設される。 1791(寛政3)年、飛騨屋が請負人を免ぜられ、村山伝兵衛に場所差配を命じる。 1796(寛政8)年、村山伝兵衛は根室、国後場所を罷免され、小林屋、熊野屋の共同差配を命じる。 1812(文化9)年、根室場所を材木屋七郎右エ門の請負となる。 1816(文化13)年、根室場所を高田屋喜兵衛、伊達林右エ門、栖原半助、亀屋武兵衛の共同請負となる。 1818(文政元)年、根室場所を高田屋単独の請負となる。 1822(文政5)年、高田屋金兵衛「オロマップ」の高台に小社を建立し、植別神社の起源となる。 1832(天保3)年、根室場所は藤野喜兵衛の請負となる。「ルシヤ」に鮭鱒場一ヶ所開設する。 1840(天保11)年、根室場所は山田屋文右衛門の請負となる。 1845(弘化2)年、根室場所は和賀屋宇右エ門、浜田屋兵四郎の共同請負となる。 1849(嘉永2)年、根室場所は藤野喜兵衛(四代目)の請負となる。標津場所の名称が出る。 1850(嘉永3)年、藤野喜兵衛は、「タッカルウス」「レブンシラリ」に鰊、鮭小舌網場二ヶ所新設する。 1858(安政5)年、5月松浦武四郎が知床探索の途次「ウエンベツ」に立ち寄る。 1859(安政6)年、会津藩の警備管轄となる。 1869(明治2)年、蝦夷を改めて北海道として11国86郡を定め、北見国斜里郡となる。 1871(明治4)年、5月仙台藩の支配となる。8月仙台藩の支配終わり、根室開拓使出張所の所轄となる。 1872(明治5)年、4月戸長が置かれ、上林藤右エ門が標津、目梨郡の戸長に任命される。 1873(明治6)年、7月根室支庁出張所を「野付」に置き、目梨、標津、野付三郡を管轄する。 1876(明治9)年、9月漁場持ち制を廃止し、一般に開放される。佐藤久右衛門が漁場を自営し定住する。 1882(明治15)年、1月開拓使根室支庁を廃し、根室県を置く。 1888(明治21)年、羅臼温泉に初めて温泉宿が設けられる。 1891(明治24)年、鱈、鰈、大平目釣り漁はじまる。越中方面からの定住者が増えだす。 1893(明治26)年、6月西井賢誠師(誠諦寺)民家を借りて寺子屋を開設。教育の始まりとなる。 1897(明治30)年、春苅古丹にて医師川上又吉が私塾を開く。 1901(明治34)年、標津、羅臼間道路開通する。6月羅臼、春苅古丹に駅逓設置する。9月標津外六ヶ村戸長役場より分村し、植別村戸長役場を設置する。 1905(明治38)年、羅臼昆布が始めて大阪方面に出荷される。 1907(明治40)年、戸長が半島横断路線(羅臼〜岩尾別間)の踏査。 1916(大正5)年、9月開拓功労者佐藤久右衛門表彰記念碑を建立。羅臼〜サシルイ間道路新設。 1929(昭和4)年、9月標津〜羅臼間に乗り合い自動車運行される。 1930(昭和5)年、7月植別村を羅臼村に村名変更する。 1945(昭和20)年、8月羅臼〜ウトロ間の防衛道路完成(現・登山道)。11月国後島より脱出の漁民陸志別原野に入植する。 1962(昭和37)年、7月共同浴場横に、町営温泉「らうす荘」がオープンした。 1963(昭和38)年、12月「ひかりごけ」北海道天然記念物に指定される。開発道路ウトロ・ラウス道路工事着工。 1964(昭和39)年、1月羅臼温泉郷に頻発地震起る。5月知床半島巡り観光船就航する。6月「知床」国立自然公園に指定される。面積は斜里郡斜里町と目梨郡羅臼町にまたがる3万8636haを知床国立公園に指定した。 1968(昭和43)年、3月羅臼間歇泉が北海道天然記念物に指定される。 1970(昭和45)年、松浦武四郎の歌碑(マッカウス)建立する。 1974(昭和49)年、3月知床突端のフーセン岩が流氷で押し倒されていることが確認される。 1978(昭和53)年、8月露天風呂「熊の湯」完成。町立しおかぜ公園完成。 1981(昭和56)年、1月町民スキー場スキーリフト運転開始。 1982(昭和57)年、12月ビジターセンター完成。 羅臼町史、羅臼町史第二巻参考 羅臼八景とは、羅臼町においてよく知られる8ヶ所の景勝地で、羅臼岳、知床横断道路(一般国道334号駐車帯)、羅臼湖、マッカウス洞窟のヒカリゴケ、しおかぜ公園、望郷台(国後展望塔屋上)、熊越の滝、峯浜パーキングとなっている。 |