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羅臼間歇泉

住所 目梨郡羅臼町湯ノ沢町
期間 通年(冬季は道路状況を確認のこと)
入場料金 無料

知床羅臼町観光協会

目梨の由来はアイヌ語の「メナシ」(東方または東隅)で、知床と北方領土を含む一帯を指していたようであり、松浦武四郎は「女那志」と記した。
羅臼の由来は、アイヌ語の「ラウシ」(低いところ・獣の骨のあるところ)からで、この一帯はアイヌの狩猟地であった。羅牛、良牛とも古文書にもみられる。
湯ノ沢町の由来は、以前は羅臼第一、第二、第三町内と三町内に区分されていたが、改正により船見町、本町、富士見町、緑町、栄町、湯の沢町と6つの町名に分かれた。
国道334号線を羅臼町市街地からウトロ方向に約3.3kmほど。羅臼ビジターセンターの先の細い側道を右折し道なりに約200mほど進むと湯ノ沢温泉「山小屋峰」がありその横に説明板がある。

この間歇泉は、1962(昭和37)年温泉ボーリング中に噴湯したもの(羅臼町史では、1961(昭和36)年、ボーリングB37、安定した泉源を得るため、湯ノ沢右岸に二本の小口径ボーリングを10数mまで掘削。現在の道指定天然記念物の間歇泉として保護されている。)で、当時は1時間おきに約15mの高さに4分間憤湯するものと、15分おきに約10mの高さに2分間憤湯するものがあった。
1975(昭和50)年頃より間歇周期、憤高等に乱れだし、30分から2時間の間隔で2分間ほど、5〜15mの高さに憤湯していた。
その後も不定期で噴湯しており、1993(平成5)年、2008(平成20)年にはいずれも2年ほど憤湯が止まっていたが、2010(平成22)年には再び噴出をはじめ、現在では45分〜2時間ほどの間隔で噴出している。
時間の幅は大きいが、運がよければ着いてすぐに地面から噴き出してくる姿を見ることもできるだろう。

時間の間隔は羅臼ビジターセンターに問い合わせると教えてくれるので利用してみるといいだろう。
ちなみに2014(平成26)年1月17日に羅臼ビジターセンターに問い合わせたところ、噴湯は不規則ではあるが、2時間おきに噴湯しているとのこと。(赤外線カメラを設置して観測を行っている)
2016(平成28)年9月13日間欠泉を観察している羅臼ビジターセンターの職員が、間欠泉の熱湯が約1〜2m程度しか噴き出していないのを発見する。噴き出し口の直径10.5cmの鋼管に石が詰められる事件も起きてる。天然記念物だろうがなかろうが悪質ないたずらをするのは絶対にやめてほしい。

また、間欠泉の入り口にはノートが置いてあり、間欠泉の噴出を目撃できた人が時刻を記入しているそうだが、気づかなかった。
冬にも訪れることが出来る。雪が積もるため、スノーシューが必須となるが羅臼ビジターセンターで無料で借りることができるのでおすすめである。



2005(平成17)年間欠泉の近くに、羅臼温泉街にある「ホテル峰の湯」が経営する別館の「山小屋 峰」がオープンした。
羅臼の温泉ホテルなどは羅臼川沿いのボーリング泉源から引湯しているが、湯ノ沢沿いの泉源を利用しているのは「山小屋峰」のみだ。
管理人に間欠泉の時間を聞いて露天風呂に浸かるのもいいだろう。
営業期間 5月上旬〜10月中
TEL 0153-87-3001(ホテル峰の湯)
泉質 ナトリウム−塩化物・炭酸水素塩泉(中性低張性高温泉)(旧泉質名 含重曹−食塩泉)
泉温 49.8℃、PH6.5、源泉100%かけ流し
日帰り入浴は受け付けていないとのこと。

間歇泉とは周期的に地面から噴き出す温泉のことで、羅臼間歇泉はボーリング管の中にたまった地下水が非常に高い地熱により沸騰点に達し憤湯しているものだ。


説明板
北海道指定天然記念物
羅臼の間歇泉
(昭和四十三年三月十九日指定)
 この間歇泉は昭和三十七年温泉ボーリング
中に噴湯したもので、当時は一時間おきに約
十五メートルの高さに四分間噴湯するものと
十五分おきに約十メートルの高さに二分間噴
湯するものの二本がありました。昭和五十年
頃より間歇周期、噴高等に乱れが見えだし、
現在は約三十分から二時間の間隔で二分間程
、五〜十メートルの高さに噴湯しています。
 変調の原因としては地下水脈の変動、地温
の低下等が考えられますが主因はつかめてい
ません。
 この間歇泉は一定の時間でボーリング管の
中にたまった地下水が非常に高い地熱により
沸騰点に達し、噴湯するものと思われます。
注意
 噴湯する際の湯温は九十八度に達しており
ますので非常に危険です。鉄柵内には絶対に
入らないでください。
平成二年十一月二十日
羅臼町教育委員会

羅臼岳の麓には、今は湯の沢町なり字名が示すように豊富な湯量と付近の景勝地をかかえ一大温泉郷となっている。
この辺りには、古くから温泉が湧出しており、先住民達も憩の場所として利用していたのであろう。古くから湯治用として地元の人々に利用されていた。温泉露頭は多数あるものの、その大部分は河床に散在したり、高温だが湧出量が少ないなどまとまった湯量が得られなかった。さらに洪水のたびに採湯、引湯が困難となり維持にかなりの苦労があった。

窪田子蔵著の「協和私役」(1857(安政4)年)に「ラウス山其下ニ温泉出ツ夷人病アレハ往テ浴ス頗ル霊アリト云々」とあり、松浦武四郎著の「知床日誌」にも「上に羅牛岳と云神霊著しき岳有、麓に温泉有よし」と記されている。
もちろん当初は露天風呂だったろうが、温泉宿がいつの頃から設けられているかは分かっていない。
本城玉藻著の「根室千島両国郷土史」(1933(昭和8)年)の資料には、「明治21年始めて浴室を設く」とあり、当時の経営者は作田繁蔵であった。
その後1895(明治28)年には、松田作蔵に温泉の権利を譲渡し、再建経営された。
1923(大正12)年、洪水で温泉宿も流出したが、すぐ再建されている。
1925(大正14)年、12月松田作蔵が函館に引っ越すため森野幹造がこれを継承、その後1931(昭和6)年藤野文吾が経営したが、1936(昭和11)年の豪雨で山崩れと洪水のため倒壊流出し、再建はされず露天風呂だけとなった。
しかし、温泉宿をとの声もあり村営で旧羅臼温泉跡に羅臼村営共同浴場を、1954(昭和29)年12月に完成した。翌年10月には増築も行うほど盛況だったようである。
1960(昭和35)年、北見の島田茂によって知床観光ホテルがオープン。
1961(昭和36)年、ボーリングB37、安定した泉源を得るため、湯ノ沢右岸に二本の小口径ボーリングを10数mまで掘削。現在の道指定天然記念物の間歇泉として保護されている。
1962(昭和37)年、7月には、共同浴場横に、町営温泉「らうす荘」がオープンした。
1963(昭和38)年、開発道路ウトロ・ラウス道路工事着工。ボーリングB1、深度130m。
1964(昭和39)年、温泉旅館「花園荘」が地元春日町の小林ツマによってオープン。次いで営林署が保養施設として「しれとこ寮」を開設した。6月1日には、知床半島周辺に位置し、面積は斜里郡斜里町と目梨郡羅臼町にまたがる3万8636haを知床国立公園に指定した。
1964(昭和39)年、ボーリングB0、羅臼荘西方170mの河床に78℃の天然湧泉があった。ここに深度70mまで掘るが、ケーシングを挿入せず孔内は崩壊、埋没し噴気は衰えた。
1965(昭和40)年、ボーリングB2、これはB0の下流19mの河床に深度72.5mまでボーリングした。
1966(昭和41)年、ボーリングB3、これはB0よりB2へ5mほど寄った場所で、集塊岩中の温泉を採取するため深度42mまでボーリングした。
1976(昭和51)年、ボーリングS51、角閃石班岩中の亀裂を探る目的で、B0の上流にて深度191.5mまでボーリングした。
1978(昭和53)年、ボーリングS53、S51より東方約150m、羅臼荘の西側にて深度800mまでボーリング。
1979(昭和54)年、ボーリングS54、S51より西方70mの羅臼川左岸にてボーリング。深度24mで、基盤の第三紀層に入り、46mで熱水と蒸気の噴出。58.5mで大量の熱水、蒸気を噴出、掘削完了し、その後も継続して観測されている。
1980(昭和55)年、ボーリングS55、S54の北方約100mの山麓にボーリング。
1981(昭和56)年、ボーリングNo1、羅臼岳登山口近くで山側に斜めにボーリングするが、失敗。深度は76.7m。間欠泉となったのでバルブを閉める。
1981(昭和56)年、ボーリングNo2、成井農林跡地でボーリング。バルブは閉鎖。深度は79.1m。
1981(昭和56)年、ボーリングNo3、知床大橋下流300mでボーリング。深度は84m。
1981(昭和56)年、ボーリングNo4、知床大橋下流500mでボーリング。深度は63m。
羅臼町史、羅臼町史第二巻(昭和58発行)参考

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