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以久科原生花園

住所 斜里郡斜里町以久科北
駐車場 6台ほど停められる
入場無料

NPO法人 知床斜里町観光協会

斜里の由来はアイヌ語の「サル」、「シャル」(アシの生えているところ)より転訛したもの。
以久科の由来は、アイヌ語の「イクシ・ペツ」(彼方の川)もしくは「エ・クナ・ペッ」(そこを・突き抜けている・川)。
斜里郡斜里町光陽町にある、国道334号線国道244号線の交差点から知床方向に約1.7kmほど進んだ交差点を海岸方向へ、約1.7km進むと駐車場がある。

斜里から約3.2kmほど東のオホーツク海に面した海岸の砂丘に広がる原生花園。北方系の草本が主体で、一帯は道の自然環境保全地域に指定されている。ここはまったく観光地化されていないこともあり、観光客はほぼいないのでゆっくり散策出来るだろう。
以久科原生花園と書かれた標識があるだけで、それ以外には何もない。
原生花園には遊歩道があり、草刈もされてあり歩きやすかった。(時期によっては雑草で歩くのも大変だという)
遊歩道と海岸の間には小高い砂丘があるため遊歩道からは海が見えないのが残念だ。花が咲いていない時期だとひたすら遊歩道を歩くことになる。途中に休憩場所やトイレなどの施設はないので注意して欲しい。
6月下旬から7月下旬に見られるエゾスカシユリの群落は圧巻で、ハマナスハマエンドウなどの花々が咲き乱れるが、植生保護のため遊歩道以外の散策は出来ない。


駐車場から海岸に出るとオホーツク海が一望できる。


私が行ったのは8月でハマナスが少しが咲いている程度だった。



こちらは、エゾカワラナデシコ(蝦夷河原撫子)。

こちらは、ヒロハクサフジ(広葉草藤)。

以久科は、元は斜里町大字朱円村に属していた。1872(明治5)年斜里郡が根室支庁管轄となる。斜里郡の村名が定められシャリ村、シマトカリ村、ヲネベツ村、ヤンベツ村、アヲシマイ村の5村が誕生。それ以前の住民はアイヌが大半を占めており、まれに和人が寄留している程度だった。1875(明治8)年斜里・網走・紋別・枝幸・宗谷に郵便局が設けられる。村名が漢字の斜里村・朱円村・遠音別村・止別村・蒼瑁村と改められた。1903(明治36)年に富山県人の林仁兵衛外2戸のの入植が開拓の始まり。
 大正末期まで入植者は少なかった。1926(大正15)年に完成した一号大排水路により開拓が本格化していく。
 昭和初期は水稲農家がほとんどだった。しかし冷害を受けて1935(昭和10)年に畑作に転換し、馬鈴薯・甜菜・小麦が主流となる。酪農もこのころから増えている。1953(昭和28)年大字斜里村・朱円村を廃し、港町・本町・分光町・朝日町の4町と、字大栄・美咲・川上・来運・豊里・三井・中斜里・豊倉・以久科南・以久科北・富士・越川・朱円西・朱円・朱円東・峰浜・日の出を編成する。
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