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ビジネスホテル グリーン温泉

住所 斜里郡斜里町港町7
TEL 0152-23-2411
日帰り入浴時間 12時30分〜23時
日帰り入浴料金 大人420円、小学生140円、小学生以下無料
チェックインは15時〜
駐車場 無料駐車場20台程度

NPO法人 知床斜里町観光協会

斜里の由来はアイヌ語の「サル」、「シャル」(アシの生えているところ)より転訛したもの。
港町の由来は、当時は斜里原野、斜里市街地と呼ばれていた。1953(昭和28)年に市街地の字名改正され港町となった。1990(平成2)年斜里市街地町名地番改正したが、港町はそのまま残った。
3・3・4斜里網走通りの道道92号斜里停車場線道道769号斜里停車場美咲線の交差点から海方向へ約200mほど右手。

1981(昭和56)年には、太田呉服店の太田初二氏が現在の港町7番地に温泉を掘り当てた。11月には特殊浴場「グリーン温泉」として開業する。その後1983(昭和58)年8月に一般公衆浴場として認可され現在に至る。
このホテルは、小型のペットなら同伴できるのである(ホテルに要確認)盲導犬も大丈夫とのこと。素泊り、朝食付、夕食付、2食付と利用できる。前浜という立地だけに新鮮な魚介類がここの名物でもある。
建物は、木造2階建で客室数は和室15、洋室2。洋室は早めの予約がいいらしい。 温泉は、深度1000mからの動力揚湯でモール泉だ。加水・加温無し。循環装置も塩素もなく源泉かけ流し。浴場施設は内風呂男女各1、シャンプーリンス有、サウナ、家族風呂3つ・1時間以内(有料)、休憩室もあり、町民も毎日入りに来る人気の湯である。

泉質 ナトリウム-炭酸水素塩・塩化物泉(弱アルカリ性低調性高温泉)旧含食塩-重曹泉
源泉温度45.8℃、動力揚湯毎分81リットル、PH8.1
効能は、神経痛、関節痛、五十肩、うちみ、くじき、リウマチ、運動器障害、更年期障害、虚弱児童、疲労回復、筋肉痛、腰痛など。
 

斜里の地名が記録に現れるのは1670(寛文10)年ころである。シャリ運上屋の創設は1790(寛政2)年に斜里場所は、宗谷場所から分かれて網走市と常呂町の境から東側を範囲として設けられた。1872(明治5)年斜里郡が根室支庁管轄となり、斜里郡の村名が定められシャリ村、シマトカリ村、ヲネベツ村、ヤンベツ村、アヲシマイ村の5村が誕生した。1875(明治8)年には村名が漢字の斜里村・朱円村・遠音別村・止別村・蒼瑁村となる。
1877(明治10)年に斜里村役場が設置され、鈴木養太が斜里赤上に入地、農業を始める。1888(明治21)年に斜里駅逓官設となる。斜里市街地は、斜里小学校が開校したのは1892(明治25)年3月である。それ以前は当時の永田戸長の協力で、仙台出身の永田泰亮が私塾を開き寺子屋式の教育をしていた。後に永田泰亮は小学校校長となった。
商店は、石橋、小山田、半沢真吉、平田嘉吉、藤沢純一、本間鉄蔵らが古くから商店を営み、食料品、一般雑貨類、呉服洋物、履物、小間物などがあった。仕入れは定期船が港に入港し、函館や小樽の商人が取引の大半だったようである。
お風呂の一号店は、下町(現在の星印刷東側)にある高橋旅館を経営していた高橋亀太である。
当時の下町は、料理屋、商店が軒を並べ夜間ともなると街路燈(家の前にある門灯)が灯されたという。夕方になるとこれに火を入れて歩く商売もあったようである。料理屋は、大正初期に全盛期を迎えていた。大小合わせて20軒ほどあったようで、芸者は大きい店だと10〜20人くらいを抱えていたようだ。当時の繁華街は現在の役場付近だったようで親不孝通りとも呼ばれていた。
1915(大正4)年二級町村制を施行し、斜里・朱円・遠音別・止別・蒼瑁の5ヶ村を合併して斜里村と改称し各村を大字と改める。1917(大正6)年には斜里市街地に電燈が灯る。現在の前浜町にある斜里第一漁業協同組合付近に発電所があり、木炭を燃やした。
網走本線(後の釧網本線)が1925(大正14)年11月北浜〜斜里間延伸開業し、浜小清水、止別、斜里の駅を設置。鉄道が開通したことにより、市街の中心は下町から上町(現在の市街地に当たる)に移った。これにより斜里神社も海を向いていたが山の方へと向きを変えた。

斜里では、人口の増加と共に一般公衆浴場も普及しはじめた。明治期に関しては資料がなく、1918(大正7)年に作成された斜里市街明細図には下町(現・斜里郡斜里町本町55本町公園付近)に「湯屋」の表示があった。これが高橋旅館ではないかと思われる。昭和初期には「五月湯」となっている。上町(現・斜里郡斜里町本町38道の駅しゃりの道路向い辺り)に「こがね湯(藤乃湯)」があり、二軒の銭湯があった。
上町(現・斜里郡斜里町港町14斜里第一ホテル)には「草津湯」があったが1935(昭和10)年頃には廃業している。その後1936(昭和11)年頃には「ハップ湯」(現・斜里郡斜里町港町12港町公園横付近)が開業し、その後1948(昭和23)年には「高乃湯」となった。1952(昭和27)年には火事により焼失するも翌年再建する。1972(昭和47)年5月には「しれとこサウナ」と改め経営の改善を図るも1983(昭和58)年5月に廃業した。
1976(昭和51)年には浜田ヨシ子氏が自己所有地である原野(現・斜里郡斜里町西町13)に温泉を掘削し「斜里温泉」となる。1980(昭和55)年5月には文光町48の長屋工業敷地内に温泉を掘削した。

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