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タウシュベツ橋梁

住所 河東郡上士幌町ぬかびら源泉郷

ひがし大雪自然ガイドセンター

上士幌町観光協会

河東郡は、十勝総合振興局の郡で、1869(明治2)年蝦夷を改めて北海道として11国86郡を定め、十勝国の一郡として成立する。江戸期のトカチ場所の一部にあたる。由来は十勝川上流部の東に位置するから。
上士幌町の由来は、士幌の由来であるアイヌ語の「シュー・オル・ペツ」(鍋を漬ける川)からと、「シュウウォロー」(広大な土地)を意味するアイヌ語のが転訛して名付けられた説がある。1931(昭和6)年に士幌村より分村し、士幌の川上に位置することから、「上士幌村」となった。
ぬかびらの語源は、アイヌ語の「ノカ・ピラ」形のある崖意、その岩は糠平ダムの湖底に沈み、現在見ることはできない。2009年に地名が「糖平」と間違われやすいなどの理由により温泉地区の字名が「糠平」から「ぬかびら源泉郷」に変更された。
タウシュベツの由来は、アイヌ語の「タァウシペツ」(樺を採取に行く川)。「タッタ二ペツ」「タッウシベツ」(樺・採れる木・川)など。
国道273号沿いに駐車場がありそこから遊歩道を歩いて湖畔展望台へ行く。ぬかびら源泉郷市街地から旭川・層雲峡方向へ約7.3kmに駐車帯がある。糠平三股林道を経由してタウシュベツ川橋梁近くまで行くことができるが、2009(平成21)年から林道は許可を得た車以外は通行が禁止されているので注意してほしい。徒歩でも通行は可能だが、橋までは約4km、熊よけの鈴を装備する必要である。

タウシュベツ橋梁は、上士幌町の糠平湖にあるコンクリート製アーチ橋で「旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群」の1つである。最初に訪問した際には、水が多く観れませんでした。
旧国鉄士幌線が1937(昭和12)年清水谷〜糠平間を延伸開業し、糠平駅を新設する。この年にタウシュベツ川橋梁が竣工。1939(昭和14)年11月糠平〜十勝三股間を延伸開業し全通し、幌加駅・十勝三股駅を新設する。
1955(昭和30)年8月糠平ダム建設のため清水谷〜糠平〜幌加のルート変更となり、糠平駅を移設する。タウシュベツ川橋梁を通る旧線が廃止される。この変更によってダム湖の影響を受けないアーチ橋が当初は撤去される予定であったが山の中に放置されることになる。糠平湖ができ、橋梁周辺が湖底に沈むことになったため、士幌線は湖を避けるように新線が引かれ、線路は撤去されたものの橋梁自体は壊さず残されることになり、現在でも見ることができ、タウシュベツ川橋梁・糠平川橋梁・第二音更川陸橋・第三・四音更川橋梁・三の沢・五の沢橋梁などの遺構が数多く残されて往時を偲ぶ。
2001(平成13)年10月には「旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群」が第1回北海道遺産に選定される。このアーチ橋を見るなら、3月〜5月頃にほとんど水位ゼロとなり、橋梁全体が見渡せるので、この時期に行くか、発電でも水位が劇的に変化する湖なので、雨の少ない時期を狙うのがいいだろう。上士幌観光協会HPでは、近況報告なども載っているので要チェックである。アーチ橋ツアー(タウシュベツ橋ツアー)もあるのでそちらも「ひがし大雪自然ガイドセンター」から応募できる。
遊歩道の途中には大きなミズナラの木もある。


2011(平成23)年2月撮影。上記初訪問時は水没していて見えなかったが冬に訪問して見ることが出来た。




このタウシュベツ橋梁は、いつ崩落して今の綺麗な姿が見られなくなるか分からないということもあり、先日「まだ湖面に沈んでいない」という話を聞いて2020(令和2)年10月に再訪してきました。上記の写真と比べると分かると思いますが崩壊が進んでいるのが見えるかと思います。



ちなみに、国の登録有形文化財にも指定されている第六音更川橋梁が2019(令和元)年に崩落しているのを確認しているとのこと。

ぬかびら温泉(源泉郷)は、大雪山国立公園の東部、糠平湖の西南の湖畔に位置する。1857(安政5)年8月松浦武四郎が札幌から十勝入りして踏査する。同年7月十勝川流域を踏査する。地内に関しては「ヲトケプ 此両岸雑樹陰森たる中、人家十三軒・・・・此北岸を上り、少々川筋を見分するに、ヨクベツ、モケナシ、コツタメム、ニウシベツ等を廻り見て、爰より水源の事を聞に、凡十里方の広にして一ヶ国の広衾ある地なり」と記され、現在は糠平湖の湖底に沈んでいる音更川上流の美しい滝の絵もスケッチされ「ヲトフケ川」として東蝦夷日誌に描かれている。8月音更川口に泊まる。音更川上流については「ヲトケブト、巾十七八間。川筋人家廿一軒。其源クマネシリの後、リクンベツ、トコロ等の山々より来る」と十勝日誌に記されている。
 糠平温泉の記述で最も古いのは1874(明治7)年に書かれた「北海道地誌要領」で、音更川湯河東郡にあり、泉質未詳。とあるのが最古とされている。これは現在湖底に沈んでいるユウンナイの事と思われる。1881(明治14)年に書かれた「北海道地誌要領」には「糠平温泉河東郡にあり」と記されておりこれが現在の糠平温泉と考えられている。1893(明治26)年下帯広村(現・帯広市)に北海道集治監釧路分監帯広外役所(十勝監獄の前身)を開設する。十勝分監を建設するため、上士幌の糠平(三の沢付近に造材宿舎・看守宿舎・物置を設置)付近で森林を伐採する。
 1913(大正2)年ユウンナイ(現在は湖底に沈んでいる)に長沢温泉開業する。1918(大正7)年十勝監獄はユウンナイまでの約16キロの道路開削工事にあたる。島隆美は上士幌の勢多川上流で摂氏30度の鉱泉を発見(現・ナイタイ高原温泉)するが、泉温が低く沸かして利用するしかなく断念した。その後、そこから6里ほど離れた糠平の奥地に鉱泉があると人伝えに聞き、1919(大正8)年、島氏がぬかびらの山奥にて自然湧出の温泉が発見。湯殿山(湯元滝の湯)と呼ばれる湯元を発見する。4月営業許可の出願をして浴用鉱泉の許可が下りる。1921(大正10)年4月音更村から川上村(現・士幌町と上士幌町)と鹿追村(現・鹿追町)が分村する。川上村の戸数は772戸。8月士幌線の実測が始まる。1922(大正11)年10月上士幌線工事着工する。1924(大正13)年島隆美が6坪の湯小屋(滝ノ湯温泉)を建てる。これがぬかびら温泉のはじまりとなった。島隆美が糠平温泉に至る道路(不二川〜糠平温泉間)を開削する。1925(大正14)年湯元滝の湯温泉旅館(現・湯元館)を開業する。1926(大正15)年6月川上村を士幌村へ改称する。7月士幌〜上士幌間を延伸開業し、上士幌駅を新設する。上士幌以北は、「十勝國上士幌ヨリ石狩國「ルベシベ」ニ至ル鐡道」として建設。(ルベシベは、現・石北本線上川駅でこのルートは現在の国道273号に相当する)

 1929(昭和4)年3月温泉旅館福島屋(後の糠平温泉ホテル)開業する。1931(昭和6)年士幌村(現・士幌町)から上士幌、上音更、居辺の各一部が分村し、上士幌村となる。人口は5499人。糠平駅逓開設する。冨士見館(後の中村屋)開業する。1933(昭和8)年幌加温泉建築する。1934(昭和9)年15軒の宿が営業する。11月仙翠峡温泉組合設立する。12月大雪山国立公園に指定。1935(昭和10)年11月上士幌〜清水谷間を延伸開業し、萩ヶ岡駅・清水谷駅を新設する。1937(昭和12)年9月糠平神社が建立される。清水谷〜糠平間を延伸開業し、糠平駅を新設する。タウシュベツ川橋梁竣工。1939(昭和14)年11月糠平〜十勝三股間を延伸開業し全通し、幌加駅・十勝三股駅を新設する。幌加・十勝三股に木材業者・従業員など多数が住み、人口が飛躍的に増加した。1940(昭和15)年糠平温泉の旅館は11軒となる。1941(昭和16)年9月糠平国民学校(後の糠平小学校)開校。1943(昭和18)年7月十勝国鉱泉組合設立。10月糠平国民学校校舎移転する。1947(昭和22)年4月糠平小学校に改称、中学校併設。1948(昭和23)年9月島隆美功労碑建立する。国有林火防線の一部をスキー場として利用し、糠平温泉スキー場(ぬかびら源泉郷スキー場)オープン。1950(昭和25)年糠平温泉地区で自家発電による電灯の施設が建設。1952(昭和27)年糠平の電源開発に着手する。1953(昭和28)年6月糠平電源開発工事開始。7月糠平ダム本体工事着工。8月旅館大雪(後の大雪グランドホテル)開業する。10月糠平ダム(発電所)の発電所・水路工事着工。1954(昭和29)年4月町制施行し、上士幌町となる。1955(昭和30)年7月ダム建設に伴い糠平小・中学校新校舎を建設し移転する。8月糠平ダム建設のため清水谷〜糠平〜幌加のルート変更となり、糠平駅を移設する。タウシュベツ川橋梁を通る旧線が廃止される。この変更によってダム湖の影響を受けないアーチ橋が当初は撤去される予定であったが山の中に放置されることになる。9月糠平ダム(発電所)完成、湛水開始。1956(昭和31)年6月糠平ダムの5kmほど下流に発電専用ダムとして元小屋ダム(上士幌町黒石平)建設する。7月糠平電源開発完工式挙行。8月糠平発電所完成。運転開始。 1958(昭和33)年糠平に簡易水道が布設される。糠平温泉旅館組合設立。1960(昭和35)年4月ホテル山湖荘(後の山の旅籠山湖荘)開業。9月糠平に小鳥の村開村し巣箱かけを行う。6月糠平に診療所が開設。糠平スキー場国設となる。スキーロープトウを建設。裏大雪の俗称が「東大雪」と改められる。1963(昭和38)年糠平に養魚孵化場が設置。11月電源神社が建立される。1965(昭和40)年糠平温泉観光開発株式会社が発足し、糠平湖に遊覧船ぬかびら丸が就航。貸ボート41隻を備える。1966(昭和41)年12月糠平温泉協同組合設立。1967(昭和42)年3月上士幌中学校校舎新築落成。然別〜糠平間(幌鹿峠)開通する。7月糠平〜清水線道路(パールスカイライン)全線開通。1968(昭和43)年12月糠平スキー場に糠平温泉第1リフトを建設。1969(昭和44)年6月糠平〜然別間のバス運行開始。12月一般道道糠平上士幌線、市町村道層雲峡十勝三股線他、5路線が一般国道273号に昇格。1970(昭和45)年9月糠平温泉地区に国設野営場(キャンプ場)を開設。糠平に鳥獣保護区指定。音更山道路開通記念碑、町の文化財として復元し移設される。1971(昭和46)年11月国道273号線道路の三国トンネル工事が完成。1972(昭和47)年7月大雪自然の村オープンする。ナイタイ高原牧場開場となる。11月三国峠開通し糠平〜層雲峡間供用開始する。12月糠平スキー場に糠平温泉第3リフトを建設。1973(昭和48)年7月糠平湖畔荘を町が経営する。1974(昭和49)年3月三股小学校が閉校し、糠平小学校に統合となる。 1975(昭和50)年10月糠平神社が現在地に移転し、社殿は幌加神社を移築。1976(昭和51)年11月湖畔荘は無期限休業となる。1977(昭和52)年11月国道273号糠平新ルート完成する。1978(昭和53)年10月糠平サイクリングロード舗装完成。12月国鉄士幌線糠平〜十勝三股間が廃止されバス代行化。糠平スキー場に糠平温泉第2リフトを建設。1982(昭和57)年10月糠平大橋開通。12月糠平スキー場に糠平温泉スキーセンターを建設する。1983(昭和58)年糠平〜然別湖の定期バスの運行を休止する。1984(昭和59)年糠平〜然別間パールスカイライン開通する。7月黒石平に糠平電力館が開館。糠平湖畔にログハウスを建設1987(昭和62)年3月士幌線全線を廃止し、十勝バス・北海道拓殖バス・上士幌タクシーの各バス路線に転換となる。1988(昭和63)年1月糠平駅跡地に鉄道資料館が建設。8月糠平スキー場の拡張事業が開始し、コースの拡張と4人乗り高速リフト3基の導入、糠平温泉第1リフトの撤去。12月糠平スキー場は、「糠平温泉スキー場」と改称。

 1989(平成元)年9月糠平温泉スキー場の2期工事を開始し、人工降雪機の導入、レストハウスの新設、スキーコースの拡幅を行う。1991(平成3)年4月糠平温泉文化ホール使用開始。1993(平成5)年国道273号三国峠(ぬかびら側)改良公事に伴い、全線通年通行化になった。1996(平成8)年東大雪ぬかびらユースホステル開業する。1999(平成11)年ひがし大雪アーチ橋友の会設立する。2000(平成12)年糠平電力館閉館となる。2001(平成13)年10月「旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群」が第1回北海道遺産に選定される。「第六音更川橋梁」「音更トンネル」国の有形文化財に登録される。2002(平成14)年湯元館に足湯設置し無料開放する。ひがし大雪アーチ橋友の会はNPOに認証。2003(平成15)年3月大雪グランドホテル廃業となる。9月十勝沖地震により、タウシュベツ橋梁の中央部が一部崩落する。2004(平成16)年7月森のトロッコ エコレール営業開始。アーチ橋友の会「ひがし大雪高原鉄道」事業開始。2005(平成17)年森のトロッコ エコレールが三の沢に移転する。自然歩道「東大雪の道」(旧士幌線)の鉄道資料館〜メトセップ間で糠平周辺の8.5km区間が開通する。翌年予算が出ず凍結。2007(平成19)年6月ぬかびら温泉旅館組合が源泉かけ流し宣言。10月糠平スキー場は、シティーグループからグリーンネージュジャパンへ売却される。11月電源開発糠平発電所水力発電機二号機竣工する。2008(平成20)年5月グリーンネージュジャパンが経営破綻。経営権が糠平館観光ホテルへ移行。7月ひがし大雪高原鉄道定期運行開始。12月ぬかびら源泉郷スキー場オープン。2009(平成21)年6月字名を「糠平」から「ぬかびら源泉郷」に変更。2011(平成23)年10月第1回ぬかびら源泉郷紅葉まつり開催。2011(平成23)年10月ひがし大雪博物館閉館。2013(平成25)年5月ひがし大雪自然館オープン。旧博物館の収蔵品の多くも移管される。2017(平成29)年旧士幌線の鉄道遺構(額平川橋梁、三の沢橋梁、幌加駅プラットホーム)を登録有形文化財に登録する。2018(平成30)年7月大雪グランドホテル跡地に糠平温泉中央園地開園する。足湯オープン。2019(平成31・令和元)年4月ぬかびら開湯100周年挙行。11月島隆美功労碑を中央公園に移設する。


1457(長禄元)年、シヤガニがナイタイに住んでいてオトフケウンクル(音更衆)の祖となる。この頃の帯広アイヌの酋長はチパイコロ。
1855(安政2)年、幕府、松前・江差地方を除く全島を直轄。
1857(安政5)年、8月松浦武四郎が札幌から十勝入りして踏査する。同年7月十勝川流域を踏査する。8月音更川口に泊まる。
1868(慶応4・明治元)年、5月箱館裁判所を五稜郭に開庁し、その所管となる。9月明治と改元する。
1869(明治2)年、6月開拓使を設置する。8月蝦夷を北海道と改称し、11国86郡を画定する。十勝国創設する。7郡51村。広尾・当縁・中川・上川・河東・河西・十勝7郡となる。十勝・中川・河東・上川郡を静岡藩支配とする。上士幌地域は十勝国河東郡に属する。
1874(明治7)年、アメリカの地質学者ベンジャミン・スミス・ライマン氏が、石狩〜音更川上流に達し。上士幌地内を通過。十勝国を調査する。札幌本庁の所属。
1876(明治9)年、松本十郎半官が音更川上流から上士幌地内を通過。十勝内陸巡視する。
1879(明治12)年、7月郡区町村編成し、十勝は浦河郡役所所轄となる。馬場猪之吉がオベリベリ(現・帯広市)のアイヌ民族の長モチャロクの所に仮住いし、その後モッケナシ(現・音更町)に移住する。大川宇八郎がモツケナシに仮住まいする。
1880(明治13)年、大川宇八郎がメム(現・音更町)に移住する。
1881(明治14)年、10月田内捨六・内田瀞らが十勝内陸調査行う。殖民地選定し上シホロ原野・メメム原野・ウヲプ原野を報告。
1882(明治15)年、開拓使を廃し、函館・札幌・根室の三県を置く。十勝は札幌県に属する。
1883(明治16)年、5月晩成社移民団13戸、27人がオベリベリ(現・帯広市)に入る。
1885(明治18)年、宮崎濁卑が伏古(現・帯広市)に移住する。
1886(明治19)年、1月函館・札幌・根室の三県と北海道事業管理局を廃し、北海道庁を札幌に置き、函館・根室に支庁を置く。3月北海道庁、函館・根室支庁開庁する。
1888(明治21)年、各原野を概測し、殖民地を選定する。
1892(明治25)年、1月下帯広村に3等測候所開設する。12月集治監釧路分監囚徒によりユウンナイ樹林伐採する。大津(現・豊頃町)〜芽室間の大津街道を開削する。約2年かかり約70km竣工する。
1893(明治26)年、6月郡各村戸長役場を分割し、河西・河東・上川の3郡各村戸長役場を下帯広村に置く。下帯広村(現・帯広市)に北海道集治監釧路分監帯広外役所(十勝監獄の前身)を開設する。十勝分監を建設するため、上士幌の糠平付近で森林を伐採する。
1894(明治27)年、増田立吉が下士幌で水稲試作する。
1895(明治28)年、4月北海道集治監十勝分監として開庁する。
1896(明治29)年、帯広市街〜音更村までの仮道(現・国道241号)開削する。十勝の殖民地解放される。それ以前に入地し開拓する無願開拓者が後を絶たずこのときすでに十勝地方で356戸、1364人にもなっていた。
1897(明治30)年、11月郡役所廃止に伴い十勝国は河西支庁となる。岐阜県武儀団体が音更中士幌に入植する。
1898(明治31)年、3月美濃開墾合資会社の移民団体43戸が中士幌に入地する。12月ニペソツ南方にある丸山が火山活動をした記録有。
1901(明治34)年、10月中士幌・上音更・上士幌原野の大部分が貸付開始となる。音更外2村戸長役場(然別・東士狩)を開設する。
1902(明治35)年、二級町村制施行する。
1903(明治36)年、4月十勝監獄として独立する。7月安村治高丸が渡道。11月安村治高丸が中音更駒場(現・音更町駒場付近)に入植する。
1906(明治39)年、4月音更村に二級町村制施行する。
1907(明治40)年、3月安村治高丸が音更村中音更(現・駒場)から上士幌に移住し上士幌の開祖となる。9月音更〜士幌間の仮道を改修する。10月野口嘉吉が上士幌に入植する。12月土田鉄五郎・丸山善吉が入植する。その後4戸入植する。奥居辺特別教授場開設する。
1908(明治41)年、居辺原野(現・河東郡上士幌町居辺)に奥野牧場創業する。3月中士幌官設駅逓(現・音更町東音更幹線62番地付近)開設する。取扱人は市原勇吉。士幌幹西2線184に草小屋を建て、音更第7教育所東部特別教授場(上士幌小学校の前身)が開設。
1909(明治42)年、に国費支弁による官設渡船場(現・士幌幹西2線付近)開設。1914(大正3)年中士幌28号に移転、波多野傳次郎、纐纈光次郎が請負った。
1913(大正2)年、ユウンナイ(現在は湖底に沈んでいる)に長沢温泉開業する。吉田千代吉が皮革会社土地管理の為東10線44〜45号に入植し、柏の皮を採取する。2月上士幌神社創祀。5月長野県人5戸団体入植する。
1914(大正3)年、上士幌駅逓(現・士幌西1線218)開設する。取扱人初代星屋友治、二代星屋友重。5月北中士幌尋常小学校付属上士幌教授場(上士幌小学校)開設する。
1916(大正5)年、上音更地区の区画割り完了する。芽登道路開通する。北中士幌尋常小学校付属上士幌教授場が西2線162番地へ移転し、北中士幌尋常小学校に昇格した。
1917(大正6)年、皮革会社が枕木を生産し居辺川から流送する。5月北中士幌尋常小学校付属奥士幌特別教授場(現・上士幌町字萩ケ岡の萩ケ岡小学校)開校する。
1918(大正7)年、6月北居辺特別教授場(北居辺小学校の前身)開校する。7月上音更特別教授場開設する。11月島隆美が上士幌の勢多川上流で摂氏30度の鉱泉を発見(現・ナイタイ高原温泉)するが、泉温が低く沸かして利用するしかなく断念した。東三線道路開通する。造材事業に王子製紙も加わり、業務を請け負う地元の関木材部が、十勝監獄の囚人を使って物資輸送の中継所であった元小屋から造材現場のメトセップ沢までの10kmを切り開き、馬車が通行可能な道を3ヶ月の突貫工事で築いた道。音更山道を開削する。
1919(大正8)年、島氏がぬかびらの山奥にて自然湧出の温泉が発見。湯殿山(湯元滝の湯)と呼ばれる湯元を発見する。4月営業許可の出願をして浴用鉱泉の許可が下りる。北中士幌尋常高等小学校附属西上音更特別教授場(後の西上音更小学校)として開校。
1921(大正10)年、4月音更村から川上村(現・士幌町と上士幌町)と鹿追村(現・鹿追町)が分村する。川上村の戸数は772戸。8月士幌線の実測が始まる。
1922(大正11)年、4月東居辺特別教授場開設する。10月上士幌線工事着工する。勢多特別教授場開設する。清水沢駅逓(現・上士幌町字上士幌清水谷)開設する。取扱人は武田貞治。
1923(大正12)年、4月北中士幌尋常小学校付属奥士幌特別教授場は奥上士幌尋常小学校として独立。5月寺田基が士幌〜帯広間の客馬車運行する。6月士幌灌漑溝第一期工事着工する。大森文吉が雑貨店を開業する。長屋芳太郎が木工場を経営する。8月上音更特別教授場は上音更尋常小学校に昇格。
1924(大正13)年、島隆美が糠平温泉に至る道路(不二川〜糠平温泉間)を開削する。
1925(大正14)年、4月川上村の区域変更があり、字居辺を編入する。5月士幌尋常小学校奥居辺特別教授場(後の北門小学校)開校する。6月川上村役場新庁舎落成し仮庁舎から移転する。9月拓殖鉄道着工する。10月糠平館(後の糠平館観光ホテル)開業する。12月軽便鉄道法により帯広〜士幌間を士幌線として新規開業し、木野駅・音更駅・駒場駅・中士幌駅・士幌駅を新設する。
1926(大正15)年、6月川上村を士幌村へ改称する。上士幌駅逓(現・士幌町字士幌西1-218付近)廃止となる。7月士幌〜上士幌間を延伸開業し、上士幌駅を新設する。上士幌以北は、「十勝國上士幌ヨリ石狩國「ルベシベ」ニ至ル鐡道」として建設。(ルベシベは、現・石北本線上川駅でこのルートは現在の国道273号に相当する)この頃から早来村から木炭業者が入地して木炭の生産を始める。
1927(昭和2)年、北居辺特別教授場は北居辺尋常小学校に改称する。上士幌〜足寄間の定期自動車運行開始。9月拓殖鉄道鹿追〜中音更間着工する。この頃入植者増える。奥野牧場や皮革会社の土地が解放され入植の最盛期を迎えた。
1928(昭和3)年、9月糠平温泉〜然別間の道路測量調査。12月拓殖鉄道新得〜鹿追間開通する。奥居辺特別教授場は基線114番地に校舎新築移転する。12月士幌尋常小学校奥居辺特別教授場が東15線に移転する。
1929(昭和4)年、4月上士幌分村案可決する。5月福島県人の磐城団体が入植する。7月温泉旅館福島屋(後の糠平温泉ホテル)開業する。10月拓殖鉄道鹿追〜中音更間開通する。12月台湾団体が入植する。東6線300番に萩ヶ岡特別教授所開設する。
1930(昭和5)年、5月奥上士幌尋常小学校と萩ヶ岡特別教授所が合併し萩ヶ岡尋常小学校となる。6月奥上士幌尋常小学校は萩ヶ岡尋常小学校と改称。12月士幌尋常小学校奥居辺特別教授場が北門尋常小学校として独立。福島県人の相馬団体が入植する。
1931(昭和6)年、士幌村(現・士幌町)から上士幌、上音更、居辺の各一部が分村し、上士幌村となる。人口は5499人。6月帯広〜上士幌間の乗合自動車運行。11月拓殖鉄道中音更〜上士幌間開通する。糠平駅逓開設する。冨士見館(後の中村屋)開業する。
1933(昭和8)年、6月池田町の大字居辺村の一部(下居辺地区)を士幌村へ編入する。幌加温泉建築する。
1934(昭和9)年、8月東居辺特別教授場は東居辺尋常小学校となる。11月仙翠峡温泉組合設立する。12月大雪山国立公園に指定。糠平の旅館15軒となる。
1935(昭和10)年、9月上士幌神社を現在地に遷宮する。11月上士幌〜清水谷間を延伸開業し、萩ヶ岡駅・清水谷駅を新設する。清水沢駅逓廃止となる。
1937(昭和12)年、9月糠平神社が建立される。清水谷〜糠平間を延伸開業し、糠平駅を新設する。タウシュベツ川橋梁竣工。
1938(昭和13)年、5月勢多にて水銀鉱開発する。青木山工場が十勝三股に製材移動機工場を設置。
1939(昭和14)年、11月糠平〜十勝三股間を延伸開業し全通し、幌加駅・十勝三股駅を新設する。幌加・十勝三股に木材業者・従業員など多数が住み、人口が飛躍的に増加した。
1940(昭和15)年、糠平温泉の旅館は11となる。
1941(昭和16)年、9月糠平国民学校(後の糠平小学校)開校。12月幌加硫黄鉱山の試掘開始。
1943(昭和18)年、7月十勝国鉱泉組合設立。10月糠平国民学校校舎移転する。
1944(昭和19)年、三股国民学校(後の三股小学校)開校。
1945(昭和20)年、8月杉並団体31戸が入植する。
1946(昭和21)年、4月上士幌観光協会設立する。11月上士幌市街地にて大火、28戸、153人が被災する。
1947(昭和22)年、居辺簡易教育所所属奥居辺特別教授所は下居辺小学校に昇格。中学校併設。4月糠平小学校に改称、中学校併設。5月陶器工場を設立する。上士幌中学校開校。各小学校に中学校を併設する。
1948(昭和23)年、9月島隆美功労碑建立する。国有林火防線の一部をスキー場として利用し、糠平温泉スキー場(ぬかびら源泉郷スキー場)オープン。
1950(昭和25)年、糠平温泉地区で自家発電による電灯の施設が建設。
1952(昭和27)年、3月国鉄バス士幌〜本別間運行開始。12月役場庁舎新築落成。清水谷小学校開校する。中央カオリン(カオリナイト(ケイ酸塩鉱物)の一種。いわゆる粘土で、現在は紙・陶磁器・化粧品の原材料に用いられている)勢多工場操業開始。糠平の電源開発に着手する。
1953(昭和28)年、6月糠平電源開発工事開始。7月糠平ダム本体工事着工。8月旅館大雪(後の大雪グランドホテル)開業する。9月黒石(現・上士幌町黒石平)小学校開校。10月糠平ダム(発電所)の発電所・水路工事着工。
1954(昭和29)年、4月町制施行し、上士幌町となる。町有貸付牛としてホルスタイン種9頭が導入される。
1955(昭和30)年、3月トンネル掘削工事中に落盤事故が発生し9人死亡。7月ダム建設に伴い糠平小・中学校新校舎を建設し、移転する。8月糠平ダム建設のため清水谷〜糠平〜幌加のルート変更となり、糠平駅を移設する。タウシュベツ川橋梁を通る旧線が廃止される。この変更によってダム湖の影響を受けないアーチ橋が当初は撤去される予定であったが山の中に放置されることになる。9月糠平ダム(発電所)完成、湛水開始。
1956(昭和31)年、6月糠平ダムの5kmほど下流に発電専用ダムとして元小屋ダム(上士幌町黒石平)建設する。7月糠平電源開発完工式挙行。8月糠平発電所完成。運転開始。
1958(昭和33)年、糠平に簡易水道が布設される。糠平温泉旅館組合設立。11月糠平生物研究所開設する。
1959(昭和34)年、居辺地区(北門)開拓事業開始する。糠平温泉ボート組合設立。
1960(昭和35)年、3月層雲峡・十勝三股線の現地調査。上士幌市街地で大火。4月ホテル山湖荘(後の山の旅籠山湖荘)開業。9月糠平に小鳥の村開村し巣箱かけを行う。6月糠平に診療所が開設。糠平スキー場国設となる。スキーロープトウを建設。裏大雪の俗称が「東大雪」と改められる。
1962(昭和37)年、6月29日22時40分頃、十勝岳で水蒸気爆発が発生する。6月30日2時45分には大規模な噴火が発生、噴煙は高度12,000mにも達した。幌加・三股地域で十勝岳爆発の音響が聞こえたという証言がある。7月黒石平・糠平・幌加・三股地域に十勝岳噴火の火山灰が降る。モンモリナイト(モンモリロン石とも言う。鉱物(ケイ酸塩鉱物)の一種。いわゆる粘土である)生産の為三股地区で白土採掘開始する。8月糠平〜清水線の道路起工式挙行。11月市街地の水道通水式挙行。
1963(昭和38)年、糠平に養魚孵化場が設置。10月糠平〜置戸間の林道が開通する。11月電源神社が建立される。
1965(昭和40)年、7月上士幌中学校が統合の為校舎建設着工する。糠平温泉観光開発株式会社が発足し、糠平湖に遊覧船ぬかびら丸が就航。貸ボート41隻を備える。
1966(昭和41)年、下居辺中学校閉校。三股〜層雲峡道路の三国峠〜三股間完成する。12月糠平温泉協同組合設立。
1967(昭和42)年、3月上士幌中学校校舎新築落成。然別〜糠平間(幌鹿峠)開通する。7月糠平〜清水線道路(パールスカイライン)全線開通。
1968(昭和43)年、10月肉牛繁殖の為カナダから80頭導入する。12月糠平スキー場に糠平温泉第1リフトを建設。
1969(昭和44)年、6月糠平〜然別間のバス運行開始。12月一般道道糠平上士幌線、市町村道層雲峡十勝三股線他、5路線が一般国道273号に昇格。
1970(昭和45)年、3月黒石小学校閉校となる。上士幌小学校に統合。4月居辺営農用水工事着工する。5月ひがし大雪博物館開館する。9月糠平温泉地区に国設野営場(キャンプ場)を開設。糠平に鳥獣保護区指定。音更山道路開通記念碑、町の文化財として復元し移設される。10月萩ヶ岡小学校改築する。12月町民プール建設する。居辺地区の電気を北電に移管。乳牛5000頭超える。
1971(昭和46)年、11月国道273号線道路の三国トンネル工事が完成。
1972(昭和47)年、6月コウライキジ飼育振興公社設立する。7月大雪自然の村オープンする。ナイタイ高原牧場開場となる。11月三国峠開通し糠平〜層雲峡間供用開始する。12月糠平スキー場に糠平温泉第3リフトを建設。
1973(昭和48)年、7月糠平湖畔荘を町が経営する。9月大規模育成牧場完工式挙行。町営公衆浴場オープンする。7月トナカイ2頭が来る。
1974(昭和49)年、3月三股小学校が閉校し、糠平小学校に統合となる。6月中央カオリン勢多工場閉鎖。7月第一回北海道バルーンフェステイバル開催。
1975(昭和50)年、3月酪農電力工事完成する。清水谷小学校閉校し、上士幌小学校に統合。10月糠平神社が現在地に移転し、社殿は幌加神社を移築。
1976(昭和51)年、3月コウライキジが野犬に襲われ大半が死ぬ。三股小中学校が閉校。10月三股木工場が撤退し、人口激減し8戸、18人となる。11月湖畔荘は無期限休業となる。
1977(昭和52)年、11月国道273号糠平新ルート完成する。
1978(昭和53)年、10月糠平サイクリングロード舗装完成。12月国鉄士幌線糠平〜十勝三股間が廃止されバス代行化。糠平スキー場に糠平温泉第2リフトを建設。居辺地区に飲雑用水完成する。
1980(昭和55)年、8月渕瀬一雄・印銀信孝らが、丸山中腹(上士幌町と新得町にまたがる標高1691mの丸山。南東約1.3kmの中腹、標高1140m付近)で噴泉塔群を発見する。
1981(昭和56)年、3月勢多小学校閉校し、上士幌小学校へ統合。7月北門地区で大きな熊を生け捕りする。11月役場庁舎新築落成し移転する。
1982(昭和57)年、3月豊岡小学校が閉校し、上音更小学校へ統合。9月上士幌町山村開発センター完成。10月糠平大橋開通。12月糠平スキー場に糠平温泉スキーセンターを建設する。清水谷町営牧場は地元へ払下げ。町営浴場のボーリング成功する。
1983(昭和58)年、7月東居辺遺跡発掘調査。糠平〜然別湖の定期バスの運行を休止する。12月町営公衆浴場に温泉導入する。
1984(昭和59)年、4月三股にログハウス(三股山荘)を建設する。糠平〜然別間にパールスカイライン開通する。7月黒石平に糠平電力館が開館。糠平湖畔にログハウスを建設。ゼオライト(触媒や吸着材料などとして利用され、現在では自然界から採掘されるもの以外に、人工的に合成されたものも多く存在し、工業的に重要な物質となっている)工場操業する。
1985(昭和60)年、4月町営浴場を民間に委託。8月丸山噴泉塔群は、天然記念物 丸山噴泉塔群として、嶋木遺跡(上士幌東4線)と三股永久凍土(14の沢・13の沢)を町文化財に指定。9月博物館を改修する。
1986(昭和61)年、5月アイヌ植物園(現・上士幌町上士幌上音更262 東泉園)オープンする。
1987(昭和62)年、3月士幌線全線を廃止し、十勝バス・北海道拓殖バス・上士幌タクシーの各バス路線に転換となる。6月上士幌駅舎解体。10月嶋木遺跡発掘調査。
1988(昭和63)年、1月糠平駅跡地に鉄道資料館が建設。2月熱気球観光会社設立する。8月糠平スキー場の拡張事業が開始し、コースの拡張と、4人乗り高速リフト3基の導入、糠平温泉第1リフトの撤去。サンウイング設立する。9月エネルギー開発温泉ボーリング開始。12月糠平スキー場は、「糠平温泉スキー場」と改称。
1989(平成元)年、5月ラム酒「ナイタイの郷」発表する。5月サンウイング水耕栽培施設完成。7月永久凍土を保護地域指定。8月嶋木遺跡にて国内最古の細石刀出土。9月糠平温泉スキー場の2期工事を開始し、人工降雪機の導入、レストハウスの新設、スキーコースの拡幅を行う。
1991(平成3)年、1月サンウイングを閉鎖4月に解散。2月丸山を活火山に指定。4月糠平温泉文化ホール使用開始。勢多地区にて金鉱床調査行う。
1993(平成5)年、国道273号三国峠(ぬかびら側)改良公事に伴い、全線通年通行化になった。
1996(平成8)年、東大雪ぬかびらユースホステル開業する。
1997(平成9)年、6月ひがし大雪自然ガイドセンター事務所開設。
1999(平成11)年、ひがし大雪アーチ橋友の会設立する。
2000(平成12)年、糠平電力館閉館となる。
2001(平成13)年、10月「旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群」が第1回北海道遺産に選定される。「第六音更川橋梁」「音更トンネル」国の有形文化財に登録される。
2002(平成14)年、湯元館に足湯設置し無料開放する。ひがし大雪アーチ橋友の会はNPOに認証。
2003(平成15)年、3月大雪グランドホテル廃業となる。9月十勝沖地震により、タウシュベツ橋梁の中央部が一部崩落する。
2004(平成16)年、7月森のトロッコ エコレール営業開始。アーチ橋友の会「ひがし大雪高原鉄道」事業開始。
2005(平成17)年、森のトロッコ エコレールが三の沢に移転する。自然歩道「東大雪の道」(旧士幌線)の鉄道資料館〜メトセップ間で糠平周辺の8.5km区間が開通する。翌年予算が出ず凍結。
2007(平成19)年、6月ぬかびら温泉旅館組合が源泉かけ流し宣言。10月糠平スキー場は、シティーグループからグリーンネージュジャパンへ売却される。11月電源開発糠平発電所水力発電機二号機竣工する。
2008(平成20)年、5月グリーンネージュジャパンが経営破綻。経営権が糠平館観光ホテルへ移行。7月ひがし大雪高原鉄道定期運行開始。12月ぬかびら源泉郷スキー場オープン。
2009(平成21)年、6月字名を「糠平」から「ぬかびら源泉郷」に変更。
2010(平成22)年、3月東居辺小学校は閉校し、上士幌小学校に統合。
2011(平成23)年、10月第1回ぬかびら源泉郷紅葉まつり開催。
2011(平成23)年、10月ひがし大雪博物館閉館。
2013(平成25)年、5月ひがし大雪自然館オープン。旧博物館の収蔵品の多くも移管される。
2014(平成26)年、3月北居辺小学校閉校し、上士幌小学校に統合。
2016(平成28)年、3月上音更小学校閉校し、上士幌小学校に統合。
2017(平成29)年、上士幌町生涯学習センター完成。旧士幌線の鉄道遺構(額平川橋梁、三の沢橋梁、幌加駅プラットホーム)を登録有形文化財に登録する。
2018(平成30)年、3月萩ヶ岡小学校閉校し、上士幌小学校に統合。7月大雪グランドホテル跡地に糠平温泉中央園地開園する。足湯オープン。
2019(平成31・令和元)年、3月下居辺小学校・西上音更小学校閉校し、士幌小学校に統合。4月ぬかびら開湯100周年挙行。11月島隆美功労碑を中央公園に移設する。
2020(令和2)年、6月道の駅かみしほろオープンする。
上士幌町史参考
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