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ノースプレインファーム ミルクホール

住所 紋別郡興部町字北興116-2(ノースプレインファーム内)
TEL 0158-82-2422
営業時間 10時〜17時(ランチは11時〜14時)
定休日 火曜日

ノースプレインファーム

おこっぺ町観光協会

興部市街地の国道238号線国道239号線の交差点を西興部方向へ約2.6kmほど左手。

ノースプレインファーム内にある農場直営ショップである。店内は、木の優しいぬくもりに包まれた空間だ。おこっぺ牛乳、ソフトクリームやナチュラルチーズ、食肉加工などノースプレインファームで作られた乳製品、菓子製品などを販売しており地方への発送も可能だ。カフェスペースも併設している。席数は20席。ハンバーグやカレーなどが人気だ。天気の良い日は外のテラスで、牧場を眺めながらのひと時もいいだろう。
2006(平成19)年に「生キャラメル」を開発し販売。生キャラメルの元祖はこのノースプレインファームだが、2013(平成25)年からは生キャラメルの製造・販売を終了した。現在はヨーグルト、牛乳、ナチュラルチーズ等の乳製品事業へ力を注いでいる。
ソフトクリームは、手作りワッフルコーンのソフトクリームを頂いた。卵やバニラ、乳化剤等の添加物を一切使っていないこだわりよう。おこっぺ牛乳だけで作られているそうだ。そのためとても溶けやすい。新鮮な牛乳の証拠だろう。店内でひとつひとつ焼き上げた手焼きワッフルコーンとの相性もいい。ちょっと写真がボケてたのは愛嬌ということにしておいてください・・・・

ノースプレインファーム株式会社は、1902(明治35)年大黒牧場が開設される。これが前身である。当時は畑作が中心だったが農作物は育ちが悪く、1957(昭和32)年に酪農経営を開始する。
1988(昭和63)年にはミルクプラント落成し、町内宅配を開始し 「ノースプレインファーム株式会社」を設立する。
1991(平成3)年直営店「ミルクホール」オープンずる。
2005(平成17)年旭川市にレストラン「エスペリオ旭川店」をオープンする。
NPF・エスペリオ旭川店
住所 旭川市東旭川町上兵村240-8
TEL 0166-36-3563
営業時間 11時〜21時(ラストオーダー20時30分)
定休日 7月1日〜9月末日は無休、 夏季以外は火曜定休日

北興(ほっこう)地区は、1897(明治30)年に区画が測設され、オウコッペ原野とモオウコッペ原野が解放される。開拓当初はオコッペ原野と呼ばれていた。5〜15線間。1898(明治31)年から団体移住で入植者が入る。1899(明治32)年に入植者総出で6線に笹小屋を作り子弟の教育(興部小学校の前身)を開始する。6線に小祠を建てて天照大神を奉斉した。1902(明治35)年には道路の開削が進む。興部川に渡船場が設けられるが荷馬などは渇水時に渡ることが出来る程度の粗末なものだった。川向に渡るには丸太橋を渡り、冬には割木橋架橋して渡った。1904(明治37)年に興部〜名寄間の道路が開削される。1909(明治42)年4月興部村と沙留村、瑠橡(るろち・現興部町豊野)を合併して興部外二ヵ村戸長役場ができる。大火により学校なども焼失する。1910(明治43)年5月天北峠で発生した山火事により興部市街地まで延焼し大火に見舞われた。興部市街地に学校が移転する。9線に分教場を設置する。
 1912(明治45・大正元)年興部神社の前身である小祠を興部市街地に移転する。1915(大正4)年4月二級町村制が施行され興部村役場となる。1921(大正10)年3月中湧別〜興部間が名寄東線として開業し、沼ノ上・小向・元紋別・紋別・渚滑・沙留・興部の各駅を新設する。名寄〜上興部間を名寄西線に改称する。10月上興部〜興部間が延伸開業し全通し、瀬戸牛・中興部・宇津の各駅を新設する。線路全通に伴い線路名を名寄線(後の名寄本線)に改称する。鉄道が来たことにより一気に発展していくがこの頃はまだ北興に駅は無かった。1923(大正12)年乳牛を導入する。綿羊も併せて飼育する。
 1929(昭和4)年川向に渡るための渡船場は不便極まりなかったが吊り橋ができる。愛宕神社を建立した。1930(昭和5)年集乳所(酪連興部工場の前身)が開設する。1937(昭和12)年川向への吊り橋は橋梁となる。1951(昭和26)年4月町制が施行される。字名地番の改正行われる。5〜15線間を北興に改める。1953(昭和28)年の冷害で酪農への転換を図るようになる。1955(昭和30)年3月異常な暖気と降雨により興部川が氾濫して床上浸水などの被害を受ける。1957(昭和32)年11月名寄本線の北興仮乗降場が開業する。1959(昭和34)年11月北興仮乗降場が駅に昇格し北興駅となる。40年代にかけてパイロット事業などが導入され転換期となる。共同放牧場、仔牛育成牛舎の整備を行い地域全体で酪農経営向上を図ったことから「酪農北海道」「朝日農業賞」などを受賞し、酪農先進地として脚光を浴びるようになるのである。
 1989(平成元)年5月名寄本線の全線廃止に伴い廃駅となる。
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