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道の駅 おこっぺ

住所 紋別郡興部町幸町
TEL 0158-82-2385
開館時間 5〜10月は9時〜18時。11〜4月は9時〜17時
休館日 年末年始(12月31日〜1月5日)

おこっぺ町観光協会

紋別の由来は、市内中央部を流れる藻鼈川(もべつかわ)を指すアイヌ語の「モン・ペット」(静かである・川)からきている。「オホーツク紋別」または「北見紋別」と呼んで区別することが多い。これは、日高支庁の旧門別町(現・日高町)と読みが同じだったためである。
興部の由来は、アイヌ語の「オウコッペ」(川尻の合流しているところ)から。かつて海岸砂州により興部川と藻興部(もおこっぺ)川が合流していたことによる。
興部市街地の国道238号線国道239号線の交差点を西興部方向へ約550mほどの仲町・幸町の交差点を左折し約100mほどに駐車場がある。

廃線となった名寄本線興浜南線興部駅の駅跡に作られている。メイン施設はジョイパーク&アニュウ。開駅は1996(平成8)年4月。
ここは複合施設で園内には、廃線となった鉄道のパネルなどを展示したコーナーなどがある交通記念館や、噴水や車輪のオブジェがあるジョイパーク(公園)と、ディーゼルカーを改装した、ルゴーサエクスプレスがある。
簡易休憩所「語らいの舎」とライダーなど旅行者のための簡易宿泊施設「出あいの宿」(無料)として開放されている。
開設期間 5月〜10月
車内は、室内灯やトイレ、寝床に電源(コンセント)も設置されている。

アニュウには、特産品販売所(冬季間休業)も併設、興部(おこっぺ)で生まれた牛乳をたっぷり使った「おこっぺアイス」は、牛乳の風味を大切にし余分な添加物を使わないアイスで、濃厚で旨かった。
他にも牛乳やチーズ等の乳製品・ハム・海産加工品など、売店奥には、ラーメン、ダッタンそばなどが食べれる食事スペースもある。

ちなみにすぐ近くには公衆浴場という銭湯もある。
住所 紋別郡興部町興部泉町
TEL 0158-82-4126
営業時間 17時〜21時
定休日 4月〜10月は日曜日。11月〜3月は火・木・日曜日。
料金 大人440円・中人140円・小人70円

ここ興部地区は、1889(明治22)年に殖民地選定が着手され、当時の藤野屋が古くから好漁場として着目していた沙留に漁場を開設し、金沢岩松、垣下若松を定住越冬させたことに始まる。1896(明治29)年には渡船場があり渡し守が居たようであるが詳細は分からない。この頃から入植者が居たようだ。1897(明治30)年に区画が測設され、オウコッペ原野とモオウコッペ原野が解放される。開拓当初はオコッペ原野と呼ばれていたが、その後市街地が形成されると下興部と言われるようになる。1898(明治31)年から本州各県の人々が入植してくる。1902(明治35)年には道路の開削が進む。開拓が進み木材の切り出しが本格化すると興部浜まで流送され本州などへ送られた。1909(明治42)年4月興部村と沙留村、瑠橡(るろち・現興部町豊野)を合併して興部外二ヵ村戸長役場ができる。1910(明治43)年5月天北峠で発生した山火事により興部市街地まで延焼し大火に見舞われた。
 1915(大正4)年4月二級町村制が施行され興部村役場となる。1921(大正10)年3月中湧別〜興部間が名寄東線として開業し、沼ノ上・小向・元紋別・紋別・渚滑・沙留・興部の各駅を新設する。名寄〜上興部間を名寄西線に改称する。10月上興部〜興部間が延伸開業し全通し、瀬戸牛・中興部・宇津の各駅を新設する。線路全通に伴い線路名を名寄線(後の名寄本線)に改称する。鉄道が来たことにより一気に発展していく。この頃火力発電所が建設され、電燈が灯った。1925(大正14)年1月には西興部村を分村する。
 1927(昭和2)年6月興部市街で大火が起こる。1934(昭和9)年酪連興部工場が操業する。1935(昭和10)年、9月興浜南線の興部〜雄武間が開業し、沢木駅・雄武駅を新設する。1940(昭和15)年には興部神社を造営する。戦後には復員や引揚者の入植で人口は増加。1947(昭和22)年興部中学校を設置する。1948(昭和23)年紋別高等学校興部分校(定時制)が開校する。1951(昭和26)年4月町制が施行される。字名地番の改正行われる。1〜5線までを字興部とした。1956(昭和31)年国民健康保険病院が開院する。1957(昭和32)年簡易水道が完成する。1960(昭和35)年をピークに人口が減少に転じる。1985(昭和60)年7月興浜南線を廃止し、北紋バスに転換する。
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