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四号駅逓跡

住所 北見市留辺蘂町丸山(丸山峠)

北見観光協会

北見市の由来は、松浦武四郎が命名した国名「北見国」からで、「北見」の由来は、この地方域の昔の通称が「北海岸」と呼ばれ、快晴の日に樺太が「見」える事から、一字ずつとったもの。
留辺蘂の由来は、アイヌ語の「ルペシペ」道・それに沿って下る・もの(川)が由来。2006(平成18)年3月5日に北見市、常呂町、留辺蘂町と新設合併し北見市となった。
丸山の由来は、道道103号留辺蘂浜佐呂間線沿いに流れる東無加川、当時はアイヌ語の「パナワルペシペ」と言われ、「ルペシペ」は道・それに沿って下る・もの(川)が由来で、「峠道」という意味となる。現在の丸山峠が「留辺蘂」の町名の由来になったのではないか?とも言われている。
国道39号線道道103号留辺蘂浜佐呂間線の交差点から佐呂間町方面に約5.9km。丸山峠頂上手前右手。説明板はない。

駅逓は網走から旭川までの間に12箇所あり、留辺蘂四号駅逓のあたりををアイヌは、ルペシュペと呼んでいた。
1891(明治24)年、中央道路開削に網走監獄の囚人を使役する。
1892(明治25)年、3月16日開駅、管理人・北村七平、取扱人は千葉新太郎となる。
1895(明治28)年、人馬の継立てを行い始める。
1897(明治30)年、佐路間峠にあった四号駅逓を川向(現・宮下町)に移転、留辺蘂の部落形成は川向から始まった。
駅逓の宿泊の部分は宿屋とし、郵便・荷物を運ぶ部分を郵便局に分離して留辺蘂郵便局を開設する。
このときの初代局長は次女の夫千葉能章で、千葉能章は後に町会議員議長を歴任、留辺蘂の功労者とされる。
1899(明治32)年、武華原野1号線以西の区画割が行なわれる。
1902(明治35)年、千葉新太郎は1号線以東の現在の市街一円(30万坪)を牧場として払い下げてもらい、千葉農場と称していた。
1907(明治40)年、千葉農場に石川県より坂下文蔵、高山与一など六戸が小作人として入植し、開墾し薄荷栽培などを行った。この頃川向では30戸程度が定住していた。
1912(明治45)年、野付牛〜留辺蘂間の鉄道(現・石北本線)開通。
1923(大正12)年3月31日廃駅となる。


中央道路の経路は、上川〜北見峠〜遠軽〜佐呂間町栄〜丸山峠〜留辺蘂〜北見〜緋牛内〜卯原内〜網走である。
国道・道道として改良・現存しているのは、国道333号線〜道道103号線〜国道39号線〜道道104号線
釧路集治監網走外役所(現・網走刑務所)は、中央道路(北見道路)の開削工事のために設置。
過酷な労働を強いられた囚人に多くの犠牲者がでて、ここ北見道路の工事では、従事した囚人1115人のうち238人が死亡したと言われている。
留辺蘂・生田原間で犠牲になった命は16人とも言われている。
北見道路が別名「囚人道路」と呼ばれるのは、多くの囚人の犠牲の上に出来た道路だったからといえる。


1800(寛政12)年、幕府が蝦夷を直轄し、宗谷・斜里・樺太の3場所を藩直営とする。津軽、南部に命じ約500人を蝦夷に派遣させ、要所警備を行う。
1807(文化4)年、蝦夷地(北海道)全島幕府直轄となる。
1808(文化5)年、津軽藩に代わり会津、仙台藩の兵1500人が蝦夷地に派遣される。間宮林蔵ら、樺太探検のため宗谷を出帆。
1821(文政4)年、蝦夷地の直轄をやめ、松前藩に戻す。
1846(弘化3)年、松浦武四郎が樺太探険の帰途、宗谷より枝幸・紋別・網走・斜里の各地に宿泊を重ね、知床半島突端に達し再び宗谷に戻る。
1855(安政2)年、幕府、松前・江差地方を除く全島を直轄。東蝦夷地は仙台藩の警備地となる。日露通好条約を結び、国境を択捉島とウルップ島の間に決める。
1869(明治2)年、8月蝦夷を改めて北海道として11国86郡を定める。9月場所請負人を廃止し、10月漁場持と改称。北蝦夷地を樺太と改称。
1871(明治4)年、5月開拓使庁を札幌に開き、函館・根室の出張所を出張開拓使庁と改称する。
1875(明治8)年、5月常呂郡7ヶ村は常呂村・鐺沸村・太茶苗村・手師学村・小牛村・生顔常村・野付牛村となる。
1877(明治10)年、3月網走分署を支庁直轄とする。
1880(明治13)年、7月網走村外3郡郡役所を網走村に設置し、網走・常呂郡戸長事務は郡長の兼拳とし、斜里・紋別郡に各戸長置く。この頃常呂に和人1戸・男2人女1人定住する。
1882(明治15)年、2月開拓使を廃し函館・札幌・根室の3県を置く。網走外3郡は根室県に所属する。
1890(明治23)年、4月北見道路の開削。空知監獄囚人により忠別太から開始する。
1891(明治24)年、4月網走分監による網走〜上川間の道路開さく着工し、同年末完成「中央道路」と呼ばれる。
1892(明治25)年、3月16日留辺蘂(4号)駅逓開駅、管理人・北村七平、取扱人は千葉新太郎となり入植。佐路間(5号)駅逓開駅、取扱人を永井友吉とする。
1895(明治28)年、留辺蘂(4号)駅逓が人馬の継立てを行い始める。
1897(明治30)年、野付牛村生顔常(モイコツネイ)村戸長役場を設置する。佐路間峠にあった四号駅逓を川向(現・宮下町)に移転、部落形成は川向から始まった。河原田万蔵がポン湯温泉出願許可される。
1898(明治31)年、國澤喜右ヱ門、森重要吉らが武華(ムカ)原野に入植。
1899(明治32)年、國澤喜右ヱ門が温泉出願し許可される。1年遅れで許可を受けた大光寺直蔵は、その後、大江与志蔵に権利を譲渡しこれが大江本家の前身となる。森重要吉の名義で浴用鉱泉免許を取り武華市街(現・温根湯温泉)に仮小屋を建てる。
1901(明治34)年、滝の湯地区の温泉を国沢喜右衛門が出願。三男森重要吉の名義で武華原野に牧場40万坪の払下げを申請する。
1905(明治38)年、払下げを受け武華原野に森重を入植させる。
1906(明治39)年、オンネナイ原野に開拓移民20余戸入植する。上枝平蔵、サロマ原野に入植する。
1911(明治44)年、11月佐路間(5号)駅逓を上佐呂間駅逓所に改称する。
1912(明治45)年、野付牛〜留辺蘂間の鉄道(現・石北本線)開通。
1913(大正2)年、富士見(現・富士見地区)に、久保内某が入植する。元町に留辺蘂郵便局を開設。
1914(大正3)年、常紋トンネル完工。森本某、元町に火力発電所新設、町に電燈が初めて点く。
1915(大正4)年、野付牛(現・北見市)から分村し、武華(ムカ)村が誕生し2級町村制施行。温根湯温泉神社が建立される。奔無加(現・金華地区)に鉄道員だった菊池茂七(その後運送業を営む)、大成造材の責任者である岩本太郎吉(その後独立して造材事業に従事する)が駅前に住みこの地区の草分けとなる。
1916(大正5)年、温根湯に高倉安次郎が水力発電所を新設、温根湯地区に電灯が点く。 温根湯郵便局開設。
1919(大正8)年、温根湯に森林鉄道を敷設するため測量が行なわれ、1920(大正9)年着工する。
1920(大正9)年、武華駅逓開設される。(現存する駅逓である)官行事業開始され、森林軌道敷設される。
1921(大正10)年、町制施行し、武華村を留辺蘂町と改称する。留辺蘂〜温根湯間自動車運行開始する。
1922(大正11)年、富士見駅逓が開設される。これが上武華駅逓(現・大和地区)取扱人は佐野松ヱ門。
1923(大正12)年、留辺蘂変電所(北海道電灯会社)が開設、市街及び温根湯に配電される。
1936(昭和11)年、留辺蘂金山本格採掘を開始する。本道を襲った大暴風雨により、武華山脈に五十万石を超える倒木が出て、これをパルプ用材として搬出することになった。
1938(昭和13)年、1級町村制が施行される。
1939(昭和14)年、9月野村鉱業(株)イトムカ鉱業所で精錬水銀を生産開始。
1940(昭和15)年、町内に23字を設置し、花園、瑞穂、丸山、宮下町、元町、東町、仲町、上町、栄町、豊金、大富、金華、昭栄、旭、温根湯、松山、花丘、平里、川北、大和、滝湯、厚和、富士見となる。
1957(昭和32)年、大雪国道開通(現・国道39号線)し、トラック輸送が始められ、森林鉄道は1960(昭和35)年廃止となる。
1958(昭和33)年、北見市泉の一部が留辺蘂町に編入される。
1962(昭和37)年、森林鉄道十字路線廃止。
1964(昭和39)年、開町50周年記念行事挙行。国道39号留辺蘂町内の舗装完了。
1966(昭和41)年、留辺蘂町役場新庁舎完成。
1969(昭和44)年、国民保養センター(町営温泉)が完成。
1970(昭和45)年、野村鉱業株式会社イトムカ鉱業所が企業縮小。
1971(昭和46)年、開拓資料館が開館。
1974(昭和49)年、公害問題によって水銀の需要が低下し、イトムカ鉱業所は採掘を中止した。滝ノ湯で温泉ボーリング成功する。8月野村鉱業株式会社よりイトムカ鉱業所の技術・設備などを買収し、水銀含有廃棄物の処理を中心に廃棄物処理事業を開始する。
1975(昭和50)年、2月野村鉱業株式会社が野村興産株式会社と変更。
1978(昭和53)年、4月山の水族館・郷土館完成。
1981(昭和56)年、イトムカ選鉱所を産業史跡として保存決定。町立滝の湯センター改築する。
1983(昭和58)年、温根湯つつじ公園完成。
1985(昭和60)年、野村興産(株)水銀含有廃棄物再資源実証プラント竣工。
1988(昭和63)年、留辺蘂町八方台スキー場オープン。
1991(平成3)年、温根湯温泉イベント広場完成。開基100年記念行事を挙行。
1994(平成6)年、大型トイレ「クリーンプラザおんねゆ」完成。
1995(平成7)年、「道の駅・おんねゆ温泉」指定を受ける。同エリアに「からくり王国」オープン。
1996(平成8)年、道の駅おんねゆ温泉「果夢林」オープン。
1998(平成10)年、道の駅おんねゆ温泉「果夢林の館」オープン。
1999(平成11)年、温根湯温泉・花水荘が破産宣告により営業停止。温根湯温泉開湯100年。
2001(平成13)年、富岡区と旭南町が合併。
2006(平成18)年、3月北見市、常呂町、留辺蘂町と新設合併し北見市となった。
2011(平成23)年、11月山の水族館・郷土館閉館。
2012(平成24)年、7月山の水族館リニューアルオープンする。
北見市史・留辺蘂町史参考

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