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若松湧水

住所 北見市若松

北見市観光協会

北見市の由来は、松浦武四郎が命名した国名「北見国」からで、「北見」の由来は、この地方域の昔の通称が「北海岸」と呼ばれ、快晴の日に樺太が「見」える事から、一字ずつとったもの。2006(平成18)年3月5日に北見市、常呂町、留辺蘂町と新設合併し北見市となった。
若松の由来は、アイヌ語の「シュブシユブシュナイ」(温泉の湧く所)、野付牛時代は第六部落として川東部落と一緒に扱われた。明治期には造材の飯場が鈴木の沢に作られたことから鈴木の沢と呼ばれた。1913(大正2)年4月に開校した分教場は、田中農場主の田中康晴が土地と建物を寄付した。田中氏の友人である当時の網走支庁長が落成式に臨席した際に、その郷里である「若松」を偲び若松小学校と命名し、部落名も若松に改めた。
道道122号北見端野美幌線道道217号北見美幌線の川東32・川東38(若松通り・南岸通り)交差点から美幌・若松・北見道路方向へ直進、約4.5km右手に看板があるので右折して突き当り。

元々この場所には民家があり、井戸水として使われていたが、湧水周辺の土地を地権者が無償で貸与され、北見観光協会が「市民においしい水を味わっていただき、地域活性化にもつなげたい」と、取水口、歩道、駐車場、看板など整備し、2010(平成22)年11月から一般開放された。毎分16リットルほどが湧き出ているそうだ。
北見観光協会が管理・整備をし、365日利用が可能(あまりにも積雪が多い場合春まで閉鎖)できる。水質検査も定期的に実施されているので、安心して利用することができるが、生水での飲料は避け煮沸して飲用してほしいとのこと。利用の際には取水マナー等守ってほしいものだ。
敷地内には募金箱の設置もされ、このお金は、水質検査や除雪費などの敷地内整備費にあてられている。


すぐそばには、北見ファミリーランドやキャンプ場、スキー場もある。
管内最大級の大型遊具コースター「クレイジーマウス」・メリーゴーランド・スカイサイクル・ゴーカート・パットゴルフ・豆汽車等の遊具があり一日中楽しめる。入園料は無料で、遊具に乗る際にチケットが必要になる。
開園期間 4月下旬〜10月中旬
開園時間 10時〜16時
定休日 毎週火曜(祝日の場合は翌日の平日)
TEL 0157-22-2910
料金 一日フリーパス券1400円。回数券(11枚綴り)700円

若松地区は、アイヌ語の「シユブシユブシュナイ」(温泉の湧く所)。野付牛時代は第六部落として川東部落と一緒に扱われた。1910(明治43)年3月小原倉治が高田牧場に入地して造材夫として働きながら耕作したのが若松部落の始まりである。その後、石森清助、小山卯作、藤川熊吉など相次いで入植した。1912(明治45・大正元)年頃には材木の運搬や炭焼きなどをする者もいて10戸ほど家があった。この頃若松地区には田中農場と藤川農場があった。田中農場の辺りは「シャシホコマナイ」(とりでの下にある沢)、チャシポコマナイと呼んでいた。農場主は田中康晴で管理人は藤川熊吉。マッチの軸木工場を経営していた丸玉鈴木浩気の飯場が鈴木の沢に作られ、矢野某が責任者となる。この頃鈴木の沢と呼ばれた。温泉は伊藤某が小屋掛けで温泉業を営んだ。
 1912(明治45・大正元)年11月向井藤太郎が温泉を買受け、藤井岸太郎などの協力のもと温泉旅館を建てた。1913(大正2)年4月に開校した分教場は、田中農場主の田中康晴が土地と建物を寄付した。田中氏の友人である当時の網走支庁長が落成式に臨席した際に、その郷里である「若松」を偲び若松小学校と命名し、部落名も若松に改めた。この部落は土地肥沃で、食料の増産に努めイナキビを始め、薄荷の全盛期にはほとんどの家で薄荷栽培をした。1918(大正7)年藤井岸太郎が水稲の試作を行う。翌年に収穫に成功する。その後沢水を利用して水田耕作をするようになりシユブシユブナイ川沿いでは水田農家が増えた。1924(大正13)年に大嶺惣喜が乳牛を導入した。
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