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天都山

住所 網走市天都山

一般社団法人 網走市観光協会

網走の由来は、アイヌ語の「チパ・シリ」(祭壇のある島)と呼ばれていたものが古語のため難解になり、「ア・パ・シリ」(我らの見つけた地)または「アパ・シリ」(入り口の地)となったとされる。
天都山の由来は、1925(大正14)年当時の第12代北海道網走支庁長「渡辺勘一」氏が、天都山から見渡す知床連山やオホーツク海、湖沼群などを見て「天ノ都ニイル心地ガスル」と残し「天都山」となった。
国道39号線国道238号線の分岐である大曲1の交差点から約4.1km。大曲1の交差点から国道39号線を女満別方向に約900m、看板があるので斜め左に入り踏切を渡って道なりに約3.1kmほど進むと左手にある。
道道683号大観山公園線からは、山下通りに看板があるのでそこから約3.4km進み右折して約400mほど。市中心部からは車で約10〜15分程度である。

網走国定公園に属し、網走市市街地の南西にある標高207メートルの山で、1938(昭和13)年12月国の名勝に指定された。
山頂には展望台が設置され、天気がよければ網走湖や能取湖、オホーツク海、知床半島や知床連山まで望むことができ、展望台は無料である。
展望台に隣接してオホーツク流氷館北海道立北方民族博物館、レークビュースキー場、フラワーガーデン「はな・てんと」、天都山桜公園、山腹の網走湖側には博物館網走監獄があり、天都山一帯が網走市の主要観光地となっているのである。
天都山公園には、約1000本のエゾヤマザクラがあり、5月上旬には綺麗な花を咲かせ花見見物で賑わう。

そばには臼田亜浪句碑もある。
この句碑は、臼田亜浪が1924(大正13)年1月に厳寒の北海道を巡遊、網走を訪れ吹雪の中網走湖を橇で横断するなど厳しい自然に触れ、市内の喜望楼で開かれた句座で披露された歌。
市内の俳句会十七美会が1957(昭和32)年11月に四十周年を迎え記念として建立した。

今日も暮るる
吹雪の底の
大日輪

常陸宮妃殿下御歌碑
天都山のオホーツク流氷館からすぐ下にある駐車場そばにある。
1979(昭和54)年9月に網走市で開かれた赤十字北海道大会に、常陸宮妃殿下がご臨席された。
網走高校では桜の苗木6本を寄贈され、翌年新春の歌会始の勅題が桜で、常陸宮妃はこの時のことを歌に詠まれた。これを記念して1980(昭和55)年7月1日建立。
毎年5月上旬にはエゾヤマザクラの花が満開となり人々を魅了する。

常陸宮妃殿下御歌
網走の
子らのくれたる
えぞ桜
今年の春は
花咲くらむか

碑文
御歌は昭和五十五年宮中歌会始めの儀において
常陸宮妃殿下が昭和五十四年九月網走市におい
て開催された第十四回赤十字北海道大会並びに
第十八回青少年赤十字北海道大会御臨席のため
御来網の際網走高等学校から贈られたえぞ桜を
お詠みになられたものであり揮毫を北海道開発
功労賞北海道文化賞受賞者松本春子氏に嘱し
田村直美氏の好意を受けここ桜公園に記念
歌碑を建立するものである
昭和五十五年六月建立
網走市

1790(寛政2)年、ソウヤ場所からカラフト場所独立、また、シャリ場所を分設し村山伝兵衛に差配させる。
1796(寛政8)年、村山伝兵衛の場所請負没収、ソウヤ・シャリ・カラフトの3場所、小山屋権兵衛の請負となる。
1798(寛政10)年、谷口青山の「自高島至舎利沿岸二十三図」の第22図にアバシリ沿岸及び番屋のスケッチが描かれる。
1801(享和元)年、エゾ地御用掛松平信濃守忠明一行、西エゾ地北海岸巡検途上アバシリに立ち寄る。シラヌカ駐在の八王子同心、シベチャ〜シャリ間の山道を開鑿する。
1807(文化4)年、幕府、西蝦夷地をも収め全島直轄領とする。箱舘奉行を改め、福山に松前奉行をおく。津軽藩士ソウヤ詰230人、シャリ詰余人水腫病にかかり翌年にかけ病死者多数出す。
1808(文化5)年、藤野喜兵衛・坪田佐平・西川准兵衛の3名共同でソウヤ・シャリ両場所を請負う。
1812(文化9)年、藤野喜兵衛、アバシリ川河口右岸に弁天社を創祀する。(ご神体は弁財天、のち町民が譲受けて厳島神社となる)
1815(文化12)年、ソウヤ・シャリ両場所、藤野喜兵衛が一手請負う。
1818(文政元)年、藤野喜兵衛、シャリのアイヌ人、数十戸をクナシリ島へ強制移送を行う。(以後強制移送つづく)
1857(安政4)年、箱舘奉行堀織部正利煕北海岸を巡検、従者玉虫左太夫著「入北記」にアバシリ・シャリ地方の役アイヌ人名など記す。
1858(安政5)年、藤野家、本店を箱舘に移し福山(松前)を支店とする。松浦武四郎、アバシリ川をさかのぼり「戊午日誌」(西部安婆之利日誌)を著す。
1864(元治元)年、藤野家、アバシリ川河口右岸に稲荷社を創祀する。(1895(明治28)年にオショップに移築する)
1869(明治2)年、東京に開拓使を設置、蝦夷地を北海道と改め、北見国など11国、網走郡など86郡の行政区域名を制定。北見国を分領(網走・斜里郡は名古屋藩領、網尻・常呂郡は広島藩領、宗谷・枝幸・礼文の各郡は金沢藩領となる)トーマス・ブラキストンが来網、ポンモイの柱状節理を見る。
1871(明治4)年、7月開拓判官松本十郎、はじめて北見国内を巡検。アイヌが全て平民に編入され、身分上の差別を撤廃。12月藤野伊兵衛、アバシリ川にはじめて板橋を架ける。
1872(明治5)年、3月北見国網走郡の名が与えられ、アバシリ村が設置される。(網走市の開基)
1873(明治6)年、7月アバシリ村に開拓使根室支庁網走出張所を置き、紋別・常呂・網走・斜里の各郡および釧路国網尻郡を所轄、紋別郡に分局を置く。
1874(明治7)年、9月モコト村から釧路国境ペケルチシに至る官設道路を開鑿。
1875(明治8)年、5月網走郡内の8村に漢字名をあて、アバシリ村は網走村となる。
1876(明治9)年、アイヌに苗字をつけさせ、待遇上の差別を取り除き、特別保護を廃止。
1881(明治14)年、11月網走村網走川河口部右岸に市街地を区画して「北見町」と命名、宅地の払い下げ開始。
1882(明治15)年、最寄村で町田孫六が川向の橋のたもとを開墾し、網走で初めて野菜栽培による営農を試み成功する。(馬鈴薯、大根、麻など)
1887(明治20)年、釧路監獄署により釧路〜網走間の道路開鑿に着手。
1890(明治23)年、4月最寄村ベナタンナイに釧路監獄署囚徒外役所の造営に着手し、7月釧路集治監網走分監、網走囚徒外役所(現在の網走刑務所の前身)が開設される。11月硫黄山〜網走間の道路完成「釧路道路」と呼ばれる。網走郡内で水稲試作。
1891(明治24)年、4月網走分監による網走〜上川間の道路開さく着工し、同年末完成「中央道路」と呼ばれる。6月釧路集治監網走分監と改め、8月北海道集治監網走分監となる。
1892(明治25)年、3月中央道路沿いの越歳・端野・相内・留辺蘂・上佐呂間・野上・下白滝・白滝に駅逓開設する。
1896(明治29)年、寺永法専師、自坊にて免囚保護事業を始める。(1907(明治40)年寺永慈恵院と改める)吉田甚松、最寄村レブンシリ(嘉多山)で水稲の試作に成功。
1897(明治30)年、5月北光社移民団が網走港に上陸、野付牛村(現・北見市)の北光社農場へ向かう。 6月網走港に船便で屯田兵の第1陣が到着。
1902(明治35)年、シレト岬を迂回するポンモイ道路を開鑿する。網走郡網走村、北見町、勇仁村(いさに)、新栗履村(にくりばけ)を合併し2級町村制施行、網走郡網走町となる。
1908(明治41)年、8月広島県厳島神社の分霊を迎えニクル(桂町)に網走神社創祀する。
1909(明治42)年、大字網走村大曲〜呼人間の湖岸道路開鑿工事に着手。
1912(大正元)年、10月網走〜野付牛間に鉄道開通し、網走本線(網走〜十勝池田間)全通する。
1913(大正2)年、9月米村喜男衛来住し、理髪業(米村バーバーショップ)のかたわら網走地方の考古学的調査・研究はじめる。
1915(大正4)年、4月能取村・藻琴村を廃して網走町に併合、1級町村制施行。
1921(大正10)年、4月網走町大字網走村の1部及び大字最寄村の1部を分離して女満別分村。
1922(大正11)年、10月網走監獄を網走刑務所と改める。12月釧網線敷設工事着工。
1924(大正13)年、1月俳人臼田亜浪来遊吟詠。11月釧網線網走〜北浜間開通する。
1925(大正14)年、9月網走支庁長渡辺勘一、「天都山」を命名。11月釧網本線網走〜斜里間開通。
1928(昭和3)年、5月網走漁業組合、藻琴湖から網走湖へシジミ移殖する。
1930(昭和5)年、6月北見鉄道会社、止別〜小清水間開業する。
1931(昭和6)年、9月釧網線全通する。
1932(昭和7)年、10月石北線全通する。
1935(昭和10)年、12月文部省、網走町桂ヶ岡砦阯(チャシ)を史蹟に指定。
1936(昭和11)年、10月湧網東線(網走〜常呂間)開通、西線(中湧別〜中佐呂間間)は17日開通する。12月文部省、網走町最寄貝塚を史蹟指定する。
1945(昭和20)年、7月米軍機、網走を空襲。(網走地方の犠牲者14名)9月ソ連軍、千島列島を占領する。
1947(昭和22)年、2月網走町から東藻琴分村東藻琴村(現・大空町)を分村する。市制施行し、網走市となる。
1948(昭和23)年、1月米村喜男衛によるモヨロ貝塚発掘調査報告会開く。9月第2次モヨロ貝塚発掘調査始まる。(10月8日終了)
1951(昭和26)年、11月天都山頂に展望台完成。
1953(昭和28)年、10月湧網線全通する。
1956(昭和31)年、6月網走市オホーツク水族館が開館。11月道道北見〜網走線(旧中央道路)改良工事本年度分完了する。
1959(昭和34)年、2月涛沸湖の湖口掘りあげ水路開削する。
1963(昭和38)年、水没遺跡の網走湖底遺跡で国内初の潜水発掘調査が行なわれる。
1973(昭和48)年、6月映画「男はつらいよ」シリーズ11作目「忘れな草」の網走ロケ開始(12〜17日)
1975(昭和50)年、7月オロッコの人権と文化を守る会発足。9月呼人で温泉(43℃)湧出。
1983(昭和58)年、3月ポンモイ柱状節理を網走市指定天然記念物に指定。
1989(平成元)年、1月博物館「網走監獄」の移築工事完了。
1991(平成3)年、2月北海道立北方民族博物館が開館。
1997(平成9)年、1月流氷観光砕氷船「おーろらT・U」の営業運行始まる。
2002(平成14)年、8月網走市オホーツク水族館が閉館となる。
2006(平成18)年、2月全編オホーツクロケ映画「子ぎつねヘレン」の完成披露上映会が25日、網走市民会館で開かれた。7月モヨロ貝塚の発掘が1日〜9月中旬まで7号住居址(し)と10号住居址などの発掘。
2009(平成21)年、1月道の駅 流氷街道網走オープン、メイン施設はみなと観光交流センター。


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