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滝の湯ふれあいの里 足湯

住所 北見市留辺蘂町滝の湯
炉用期間 4月下旬〜10月末または11月上旬
利用時間 4月〜8月は9時〜19時  9月〜10月は9時〜18時
利用料 無料

北見観光協会

北見市の由来は、松浦武四郎が命名した国名「北見国」からで、「北見」の由来は、この地方域の昔の通称が「北海岸」と呼ばれ、快晴の日に樺太が「見」える事から、一字ずつとったもの。
留辺蘂の由来は、アイヌ語の「ルペシペ」(道・それに沿って下る・もの(川))が由来。2006(平成18)年3月に留辺蘂町、端野町、常呂町と合併し北見市となった。
滝の湯の由来は、お湯が豊富なことからついたといわれている。
国道39号線沿いに看板があり、道の駅 おんねゆ温泉から層雲峡方向に約6.5kmを右折、200mほど入った場所にある。近くには滝の湯センター 夢風泉もある。

滝の湯ふれあいの里は、老人ホーム静楽園の跡地に2007(平成19)年4月に整備された施設。
滝の湯温泉の源泉かけ流しの天然温泉で、屋根付きの足湯。


足湯のすぐ近くには、あずまやがあり、無料パークゴルフ場などがある。 トイレ・駐車場もある。
泉質 単純硫黄泉(アルカリ性低張性高温泉)
源泉温度 45℃、PH9.6
適応症 神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・関節のこわばり・うちみ・くじき・痔疾・冷え性・病後回復期・疲労回復・健康増進・きりきずなど。

滝の湯地区の温泉は、1901(明治34)年温根湯の国沢喜右衛門が出願の際、湯質検査を行い塩分が検出されたという。
この塩分は、後にアルカリ泉であることが判明、将来この附近が発展するだろうと考えた国沢は、土地ニ戸分と泉源の払下げを受けて、塩別温泉と命名したが、当時は交通の便も悪く温泉開発は行われなかった。
1912(大正元)年、望月銀作を管理人にして温泉の管理と土地の開墾などを任せ、宿泊施設を設け、造材その他で来往する人々の利便を図り、望月温泉とも呼んだ。
1920(大正9)年、岩瀬禎助が買い受け定住、その後は荒れ、僅か木の浴槽が残っていただけであった。このとき武華駅逓が開設された。
1974(昭和49)年のボーリングによって出口で43度、毎分30リットルの湯の自噴に成功し、町営温泉滝の湯荘は増改築により町民の保養センターとなった。
この湯は「老人ホーム・静和荘」「静林荘」に割譲し、在来の塩別温泉と共に温泉街を形成していった。

すぐ近くには、日帰り入浴施設と宿泊施設を兼ねた、滝の湯センター 夢風泉(ゆめふうせん)がある。
源泉掛け流しで飲泉可。かつてはこの他にも旅館があったが廃業している。

この温泉から約700mほどには塩別つるつる温泉もある。

少し離れた、シケレベツ沢の無加川支流シケレベツ川沿いには、町が所有の土地に湧く福田温泉(シケレベツ温泉)があった。
明治末期に大江与四蔵氏が出願許可を取ったが、交通不便なため開発されないままだった。
1934(昭和9)年、泉源を競売することになり、43人の競願者の中から福田清蔵氏が落札。それ以来福田温泉として湯治客の利便を図った。天然湧出のものは数箇所に散在していた。
1960(昭和35)年ごろ深度100mボーリングする。
1961(昭和36)年、農林水産省がこれを買収し、営林署の職員保養所翠山荘を新築。(収容人員30名)留辺蘂営林署が管理運営していた。
ややぬるめの湯で、小屋掛けの内風呂と露天風呂(岩風呂)があった。
ちゃんとした温泉施設ではなく、川縁に浴槽がある簡易的な施設で掛け流しのお湯は未処理で川に流され、ほぼ野湯に近い状態の共同湯だったこともあり、ここの存在を知っても、場所を開かさない事を条件に入湯出来る場所とされてきたのである。
しかし、モラルが守られないことと、河川を汚さない管理が出来ない事もあり、2005(平成17)年12月閉鎖され、更地に戻された。
当時の泉質は、アルカリ性単純泉、泉温39.4℃、PH9.3。


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