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女満別空港

住所 網走郡大空町女満別中央201-3
TEL 0152-74-3115
営業時間8時〜21時
駐車場 第1駐車場、第2駐車場あわせて1000台以上。60分以内の駐車は無料。

女満別空港

オホーツク大空町観光協会

網走の由来は、アイヌ語の「チパ・シリ」(祭壇のある島)と呼ばれていたものが古語のため難解になり、「ア・パ・シリ」(我らの見つけた地)または「アパ・シリ」(入り口の地)となったとされる。
大空町の由来は、澄んだ大空、実り豊かな大地のもとで、住民が夢や希望を持ち暮らしていくこととして命名され、2006(平成18)年3月31日、女満別町と東藻琴村が合併して誕生した。
女満別の由来は、アイヌ語の「メムヤベツ」(冷たい泉池がある川)である。
国道39号線道道64号女満別空港線 である、大空町女満別本通5丁目交差点から空港方向に約4.1kmほど。北見から来ると国道39号線の網走郡美幌町字高野交差点から美幌バイパスを通って約8.8kmほど。

女満別空港は、新千歳、函館、旭川空港に次いで道内で4番目に利用客が多く、近年の年間旅客数は100万人ほど。オホーツク海沿岸の網走市中心部から南西に約20km(車で約25分程度)と観光やビジネスで利用される空の玄関口で、北見、十勝、釧路方面を出発・目的地としてレンタカーも多く利用されている。
2006(平成18)年3月31日、女満別町と東藻琴村が合併して大空町が誕生したが、空港の名称は変更されなかった。
元々は、冷害克服のためオホーツク海の流氷や気象観測が目的で、1935(昭和10)年3月競馬場として使われていた土地に気象観測用の飛行場として設置。現・空港位置の北側隣接地に、滑走路500mを村民総出で一週間で完成させた。これが開港のきっかけとなり流氷観測機が飛び立った。
1985(昭和60)年、 4月女満別空港南側に新女満別空港を建設し供用開始する。滑走路は2000mとなりジェット化となった。
ターミナルビルは地上3階建て、ターミナルビルから旅客機に乗客や乗員を乗降させるためのボーディングブリッジを3基備えている。
1階は、各航空会社カウンター、到着ロビー、レンタカー受付カウンター(飛行機の発・到着時間に合わせてスタッフが常駐・各レンタカー会社は空港敷地外にある。送迎付き)、観光案内所など。
2階は、出発ロビー、搭乗待合室、有料待合室、売店、レストランなどがある。
3階は、展望デッキ。


なお、旧空港滑走路跡地は、1992(平成4)年ドイツの自動車部品メーカーである、ボッシュ株式会社のブレーキテストコースに転用され、女満別テクニカルセンターが開設(テストコース・開発試験を通年で行える)し現在に至る。
この施設は、シャシー・システム・コントロール事業部の施設であり、2009(平成21)年には、開発棟(事務所、アプリケーションホール)を拡張する。
2010(平成22)年にはテストコースの拡張工事が完了し、総面積63haに拡大。ダイナミックドライビングエリア (直径300m)、4車線直進路(延長800m)などを整備して、ESC (エレクトロニック・スタビリティ・コントロール、横滑り防止装置)とドライバー・アシスタンス・システム(運転支援システム)の開発や車両の開発試験を行っている。

1935(昭和10)年、3月中央気象台(現・気象庁)が、競馬場として使われていた土地に滑走路500mを村民総出で一週間で完成させ、気象観測用の飛行場として設置する。流氷観測機により上空から流氷観測を行った。
1936(昭和11)年、6月青年団の奉仕により滑走路延長し、650mとなる。皆既日食の飛行観測を実施。天候に恵まれ大成功する。
1942(昭和17)年、海軍航空隊が「海軍美幌航空隊第二飛行基地」として建設開始する。
1945(昭和20)年、滑走路等一部は完成していたが、第二次世界大戦終戦に伴い米軍により爆破され使用不能となる。
1952(昭和27)年、11月米軍が主滑走路を修理の上、不時着場として接収する。
1956(昭和31)年、4月米軍から飛行場の一部が返還される。6月女満別〜丘珠間の不定期便運航開始。(北日本航空・DC-3型機)。
1958(昭和33)年、7月米軍から接収地すべて返還される。これに伴い空港設置に必要な土地を開拓者より買収し、女満別町が管理する。12月第3種空港F級として供用開始。
1961(昭和36)年、4月女満別空港の管理を北海道へ移管。
1963(昭和38)年、4月第3種空港として供用開始。滑走路延長1200mとなる。
1965(昭和40)年、6月「日本国内航空」(1964(昭和39)年4月「北日本航空」は合併により「日本国内航空」となる) 、丘珠空港線定期運航開始。丘珠空港〜女満別空港〜中標津空港線廃止となる。
1971(昭和46)年5月「日本国内航空」は、合併により「東亜国内航空」となる。
1972(昭和47)年、4月通年運用開始する。
1981(昭和56)年、9月ジェット化へ向け、新女満別空港の工事着工する。
1985(昭和60)年、4月女満別空港南側に「新女満別空港」供用開始。滑走路は2000mとなり定期便にジェット機就航。旧女満別空港廃止となる。10月運用時間が8時から19時30分となる。
1987(昭和62)年、4月新女満別空港から「女満別空港」へ改称する。
1988(昭和63)年4月東亜国内航空が「日本エアシステム」に商号変更する。
1992(平成4)年、4月小型機専用エプロン供用開始する。
1994(平成6)年、4月空港ビル増築部分供用開始する。
1998(平成10)年、6月エプロン増設供用開始する。
2000(平成12)年、2月滑走路延長し2500mとなる。平行誘導路供用開始する。7月運用時間が8時から21時となる。
2003(平成15)年、8月エアーニッポンのYS-11型機が運航終了となる。
2004(平成16)年、4月「日本エアシステム」は「日本航空ジャパン」に商号変更する。「エアーニッポン」「エアーニッポンネットワーク」「全日本空輸グループ」の便名統一化に伴い「全日本空輸」便名に変更する。
2005(平成17)年、7月美幌IC〜女満別空港IC間が供用開始となり、美幌バイパスが全線開通する。 9月JR北海道開発の「デュアル・モード・ビークル」の試験運行を、北見駅〜西女満別駅〜女満別空港間で実施する。10月管制官配備により、管制空港になる。12月空港ビル増築部分供用開始し、ボーディングブリッジが3本、手荷物ターンテーブルが2基に増設された。
2006(平成18)年、3月「北海道エアシステム」函館空港線休止となる。4月駐車場有料化。

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