北海道応援サイト!がんばれ北海道!!

鎖塚道祖神

住所 北見市端野町緋牛内

北見観光協会

北見市の由来は、松浦武四郎が命名した国名「北見国」からで、「北見」の由来は、この地方域の昔の通称が「北海岸」と呼ばれ、快晴の日に樺太が「見」える事から、一字ずつとったもの。
端野町の由来は、アイヌ語の「ヌッケシ」または「ヌフ・ウン・ケシ」(野の端)から。網走支庁管内の常呂郡に存在した町だが、2006(平成18)年3月5日に北見市、常呂町、留辺蘂町と新設合併し北見市となった。
緋牛内の由来は、アイヌ語の「シュシュ・ウシ・ナイ」(ヤナギの群生する沢)から転訛した。
道道104号網走端野線沿いにあり、国道39号線と道道104号網走端野線の交差点から二見ヶ岡方向に約850m。鎖塚慰霊碑から450mほど。

鎖塚は、100回忌も終わったこともあり道祖神としての弔い上げを当時の町長も示唆していた。
「北見開拓の大動脈となった中央道路は、囚人の犠牲で出来上がり、その魂で守られている。この人たちこそ道祖神だ。」と考えた当時鎖塚保存会会長の斉藤正気氏が、1995(平成7)年、自己資金による高さ2mの御影石で道祖神碑を建立。
1997(平成9)年、自己所有の山林を切り開き現在地に遷座し現在に至る。

北海道道祖神建立の趣旨
端野町が文化財に指定した鎖塚地域の同志は北海道縦貫
軍用道路開削の為各地で弊履の如く扱れたが彼等は由緒
ある憂国の志士であり、最悪の悲劇300名とも言われる犠牲
者を葬たが、この北見道路は北網圏の文化と繁栄をもたらした
 この大恩と功績は永久不滅であり身命を犠牲にしての尊い
偉業を顕彰し後世に伝えるに当り100回忌も終えてをり
此際神号を尊称し北海道道祖神を建立し道路の神様
旅行者の守護神として交通の安全を守り又疫霊や悪鬼が入
り込まぬよう防禦神として信仰し平和な社会を創造する
ことを祈願する所存であります。

中央道路を現在の道路に当てると、網走市から網走湖西岸道道104号線をとおり、端野地区〜北見市街〜留辺蘂地区は国道39号線、留辺蘂地区〜佐呂間町花園間は道道103号線で、丸山峠頂上から100メートルほどに中央道路開削犠牲者慰霊之碑がある。
佐呂間〜生田原町(現・遠軽町生田原)間は共立峠、生田原町(現・遠軽町生田原)〜遠軽町〜丸瀬布町(現・遠軽町丸瀬布)〜白滝村(現・遠軽町白滝)〜北見峠は国道333号線までがほぼ当時の経路となっている。
北見峠からは国道333号線〜上川まで国道273号線、上川〜旭川まで国道39号線の経路と見られる。

当時の中央道路の交通量は、その後の鉄道や新道の開通などにより激減し、1923(大正12)年、町村道となった当時の嘉多山・緋牛内間は、近隣農家の荷馬車が往来する程度の通行となり、補修などもされず廃道寸前の状態だったという。
1949(昭和24)年には、中央道路を復活させ、網走・北見間に定期路線バスの運行を嘉多山地区の嘉多山寛氏(三代目当主)らが訴え、1952(昭和27)年には関係市村の首長らが北見・網走間道路改良促進期成会を結成し、北海道庁などへ陳情した。
その結果、1954(昭和29)年には道道に認定され、1956(昭和31)年には網走市二見ヶ岡から国道39号端野町緋牛内地区分岐点までの改良事業がはじまった。
1961(昭和36)年9月には、延長21.4kmの砂利道が完成し、11月に開通式を挙げ、現在は国道39号線と国道238号線を結ぶ、主要幹線道路としての役割を果たしている。


大きな地図で見る
Copyright (C) がんばれ北海道 All Rights Reserved.
inserted by FC2 system