鎖塚供養碑住所 北見市端野町緋牛内846番地北見観光協会 北見市の由来は、松浦武四郎が命名した国名「北見国」からで、「北見」の由来は、この地方域の昔の通称が「北海岸」と呼ばれ、快晴の日に樺太が「見」える事から、一字ずつとったもの。 端野町の由来は、アイヌ語の「ヌッケシ」または「ヌフ・ウン・ケシ」(野の端)から。網走支庁管内の常呂郡に存在した町だが、2006(平成18)年3月5日に北見市、常呂町、留辺蘂町と新設合併し北見市となった。 緋牛内の由来は、アイヌ語の「シュシュ・ウシ・ナイ」(ヤナギの群生する沢)から転訛した。 端野町市街地から美幌町方向に国道39号線を約7.9kmの交差点から側道を道道104号網走端野線方向へ1.3kmほどの菊池坂に「鎖塚」と呼ばれる3基の土まんじゅうと石碑がある。国道39号線と道道104号網走端野線の交差点から二見ヶ岡方向に約1.2kmを斜め左方向に約130mほど。 この土盛りは、道路開削のために使役され死亡した囚人を埋めたものと言われている。 この道路こそ中央道路、別名囚人道路で旭川〜網走を結んだ幹線道路である。 この鎖塚はその犠牲者が眠っているとされ、鎖塚保存会によって手厚く慰霊され、端野のほか中央道路沿線には同じような慰霊碑を建立し供養している。 元端野町長だった中沢廣氏は、1969(昭和44)年鎖塚にその由緒を紹介する立て札を立て、1973(昭和48)年7月には地蔵尊を祀って霊を供養した。 端野町開基80周年にあたる1976(昭和51)年、「鎖塚慰霊事業協賛会」を創立し六地蔵を寄進しようと浄財を募ったところ予定をはるかに越える寄進の額が集まり、併せて慰霊碑も建立、10月17日に慰霊祭が行われた。 碑文 明治廿四年北海道長官永山武四郎氏は網 走と旭川を結ぶ国道開設の急を感じ網走 空知両監獄の囚人凡そ千人を動員し、五 月上北両端より着工十二月完成の突貫工 事をした。此の道路が北見の開発に貢献 したことは言うまでもないが、工事の際死亡 し路傍に埋められた墓標なき囚人は三百 に余るとも云う。此の三基も亦彼等を縛 った鎖だけがその上に残されてあり是を 鎖塚と呼ぶようになった。此処に供養碑 を建て尊くも哀れな御霊を永く弔う ここから400mほど離れた場所には、鎖塚道祖神があり、当時鎖塚保存会会長の斉藤正気氏が、1997(平成9)年、自己所有の山林を切り開き現在地に遷座し現在に至る。 1891(明治24)年、中央道路開削工事始まる。(現・国道39号線) 1892(明治25)年、2号端野駅逓が設置される。(現・北見市端野町二区657) 1897(明治30)年、6月屯田兵第四大隊一中隊100戸が端野に入植する。(現・端野町字一区に33戸・字二区に34戸・字三区に33戸)端野説教所で寺子屋授業が始まる。 1898(明治31)年、屯田兵第四大隊一中隊100戸入植する。(字一区に31戸・字二区に36戸・字三区に33戸)水稲試作始まる。 1900(明治33)年、端野神社仮宮建設する。 1901(明治34)年、寒河江直助がハッカ栽培を始める。 1903(明治36)年、端野説教所が無量寿寺となる。緋牛内〜美幌間道路工事着工。 1904(明治37)年、緋牛内〜美幌間道路開通。屯田兵制度終了。協和に西川貞次郎入地。 1905(明治38)年、2月中央道路との合流点に移転し、緋牛内駅逓所と改称した。石川庄吉ほか数名が川向に入植する。 1909(明治42)年、2級町村制施行し「野付牛村」となる。 1912(大正元)年、10月網走本線開通、国有鉄道の駅として端野駅・緋牛内簡易駅開業。(現・石北本線) 1915(大正4)年、1級町村制施行し「野付牛町」となる。 1921(大正10)年、野付牛町から分村し2町村「端野村」となる。 1922(大正11)年、端野村役場庁舎を新築する。 1923(大正12)年、端野神社が現在の場所に移転する。 1933(昭和8)年、端野駅舎改築する。 1937(昭和12)年、端野神社社殿新築する。 1950(昭和25)年、端野村役場新築する。 1961(昭和36)年、9月町政施行し「端野町」となる。 1976(昭和51)年、鎖塚供養碑建立する。 1979(昭和54)年、道立北見商業高校開校。白かば台スキー場開設。 1983(昭和58)年、歴史民俗資料館オープン。 1985(昭和60)年、端野駅無人化。 1987(昭和62)年、4月国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。 1989(平成元)年、メビウススキー場オープン。 1991(平成3)年、端野駅舎新築オープン。 1993(平成5)年、国道333号線「端野トンネル」開通する。 1997(平成9)年、森と木の里キャンプ場オープン。 1998(平成10)年、温泉「のんたの湯」オープン。 2006(平成18)年、北見市、常呂町、留辺蘂町と市町村合併し、北見市端野となる。 新端野町史参考 |