金田一京助歌碑住所 網走市北2条東1丁目一般社団法人 網走市観光協会 網走の由来は、アイヌ語の「チパ・シリ」(祭壇のある島)と呼ばれていたものが古語のため難解になり、「ア・パ・シリ」(我らの見つけた地)または「アパ・シリ」(入り口の地)となったとされる。 国道39号線沿いにモヨロ貝塚館の看板がありそこから側道に約100mほど。 言語学者金田一京助博士が初めて米村喜男衛を訪ね網走に来たのは、1945(昭和20)年8月である。 その後も、モヨロ貝塚の発掘調査の指導で、何度か来網された。 金田一京助は1948(昭和23)年、1ヶ月余り米村喜男衛宅に滞在した。当時は食糧難時代、米村美登里夫人は近隣部落の農家をかけずり廻って米や麦を集めた。 鱈を買い求めてタラチリや三平汁にしてもてなした。これが博士の好物でずいぶん喜んで食べていたそうだが、学者のこと陰の苦労は知らず網走は食糧難ではないとおもっていたそうだ。 碑の歌は発掘現場で更紙にさらさらと書いて米村喜男衛氏に渡されたもの。「これはいい歌ですね」と米村氏が言うと、帰京後に毛筆で揮毫したものが送られてきた。
![]() 於不つくの もよろのうらの 夕凪に いにしよ志のび 君とたつかな 昭和二十二年からニヶ年にわたり 東京大学教授駒井和愛博士を主班 とする各大学、各機関の考古学徒 三十余名が参加されて、モヨロ貝 塚学術調査が行なわれました。 この和歌はその時、特別指導者と して原田叔人博士とともに来網な された金田一博士がモヨロ貝塚に たたれた際に詠まれたものです。 揮毫・金田一京助 建立者・米村喜男衛 1956(昭和31)年9月10日建立 網走の碑参考 大きな地図で見る |