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日本最東端の駅 東根室駅

住所 根室市光洋町2-15(JR北海道根室本線)

根室市観光協会

根室の由来は、語源は早くに忘れ去られ不明であるが諸説ある。江戸時代の記録には「子モロ」「根諸」などと記され、根室市では「根室国」を命名した松浦武四郎による「知床日誌」では、アイヌ語の「ニ・ムイ」(木・湾の意)を由来とし、この説を採用している。他にも「ニイモヲロ」(静かで樹木のあるの意)・「ニノヲロ」(ウニがあるの意)・「ニムオロ」(樹木繁茂する所の意)・「ネムロコタン」(池のある集落)・「メム・オロ・ペッ」(湧壺・そこにある・川の意)などとある。
光洋町の由来は、市民から募集したもので、この地区は根室でも高台にあることと、太陽を長時間浴びられ、太平洋とオホーツク海の両洋を見下ろせることからついた。それ以前は根室市字桂木の一部だった。
東根室の由来は、根室の東方に位置することから。
道道35号根室半島線の光洋町1丁目・光洋町3丁目交差点から約750m(根室市立光洋中学校バス停)から右折(看板は無し)し、住宅街を約120mほど進むと駐車場がある。

日本最東端の駅が根室本線の東根室駅。1961(昭和36)年9月花咲駅(根室市花咲港255番地にあったが2016(平成2年)年3月に廃止)〜根室駅間に東根室駅を開設した。1面1線のホームがある無人駅で駅舎はない。日本最東端の碑が設置されており、駅に降り立つ人も少ないが記念撮影に訪れる人がちらほら。周辺は住宅街となっている。東根室駅の入場券は根室駅で発券してもらえるとのこと。

なぜ根室駅が最東端でないかは、根室本線が大きく弧を描いて根室市街へと入るため。根室駅はこの駅より北西に位置しているので、この東根室駅が最東端の駅となる。
かつての最東端駅は根室拓殖鉄道の歯舞駅だったが1959(昭和34)年6月廃止されている。

光洋町は、1966(昭和41)年1月桂木・光洋町となる。はじめは1〜4丁目。1979(昭和54)年2月地番改正され1〜5丁目となる。もとは根室市字桂木の一部だった。
桂木は、1932(昭和7)年11月町内地番改正し、大字を廃し36町名となる。それ以前は根室市大字友知の一部だった。江戸期にはカンサラムイと呼ばれ、アイヌ語で(大口の湾)を意味する。1789(寛政元)年蝦夷地で和人に虐待されていたアイヌが蜂起するクナシリ・メナシの戦いが起こる。1799(寛政11)年南部藩がネモロ・クナシリ・エトロフに勤番所を設ける。1821(文政4)年幕府、蝦夷地を松前藩に返還。南部・津軽藩兵を撤退させる。1843(天保14)年3月根室国地方に大津波あり。46人死亡、家屋倒壊75戸、船61隻被害受ける。1845(弘化2)年松浦武四郎始めて東蝦夷地を知床まで探検し知床日誌を著す。 この時の身分は、幕吏ではなく江差の商人和賀屋孫兵衛の手代を名乗って函館、室蘭、襟裳、釧路、厚岸、知床、根室、函館と探検した。1855(安政2)年幕府、松前・江差地方を除く全島を直轄。東蝦夷地は仙台藩の警備地となる。
 1869(明治2)年、6月開拓使を設置する。8月蝦夷を北海道と改称し、11国86郡を画定する。松本十郎を開拓判官に任命する。開拓使所管のうち目梨、標津二郡は熊本藩の支配となる。10月根室松ヶ枝町に開拓使出張所を設け、旧仙台藩陣屋にて人民願い訴訟を取り扱う。所管は根室、花咲、野付三郡藤野喜兵衛が根室駅逓取扱人となる。藤野家の漁場責任者として、佐藤久右衛門が根室花咲町2丁目に住む。1870(明治3)年4月根室近傍宅地を区画し、希望者に貸与する。1872(明治5)年3月根室管内の村名を定める。9月根室出張開拓使庁を根室支庁に改める。1875(明治8)年3月管内町村及び港湾のカナ書アイヌ名を漢字に改める。大字を附する。1882(明治15)年開拓使を廃し、函館・札幌・根室の三県を置く。4月根室県庁開庁し、諸々を開拓使より引き継ぐ。1886(明治19)年3月北海道庁、函館・根室支庁開庁する。1894(明治27)年3月大地震が起こる。被害戸数877戸、負傷者は4名。1900(明治33)年7月根室町に一級町村制を施行する。友知(現・根室市)外五村戸長役場を置く。1901(明治34)年11月友知外五村戸長役場を歯舞村に移し、歯舞外五村戸長役場と改める。

 1915(大正4)年4月歯舞外五村に二級町村制施行し歯舞村役場を置き、歯舞・友知・沖根婦(現・根室市双沖)・沖根辺(現・根室市双沖)・婦羅理(現・根室市歯舞)・珸瑤瑁(現・根室市珸瑤瑁)を大字とする。1921(大正10)年8月国有鉄道(根室本線)の西和田〜根室間延伸開業により全通する。花咲駅・根室駅を新設、滝川〜根室を根室本線と改称する。
 1927(昭和2)年4月根室拓殖鉄道株式会が創立する。8月根室拓殖鉄道15.5kmの建設工事始まる。許可移民が根室原野に大挙して入地する。1929(昭和4)年8月植民軌道根室線にガソリンカー導入する。10月根室拓殖鉄道会社の根室〜婦羅理(現・根室市歯舞)間が開通する。12月婦羅理〜歯舞間延伸開業する。1932(昭和7)年11月町内地番改正し、大字を廃し36町名となる。1945(昭和20)年4月根室拓殖鉄道に社名変更。根室市街が米軍機により空襲され、死者199人、行方不明者170人、市街中心部の大半が焼失する。8月ソ連軍が択捉島に上陸する。9月には千島・歯舞島が占拠される。米軍駐留軍が公会堂に進駐する。9月ソ連が千島の領有を宣言し、南千島、歯舞諸島から脱出者が相次ぐ。11月北方水域にマッカーサー・ライン設定される。稲茂尻(色丹島)で島民がソ連軍に射殺される。国後島より脱出した漁船が根室沖で沈没し、18人死亡する。戦災者・引揚者のバラック建設始まる。1957(昭和32)年8月根室町と和田村を合併し、根室市が誕生する。1959(昭和34)年4月歯舞村が根室市と合併する。7月国鉄根室駅新築落成する。根室拓殖鉄道が廃止となる。昭和30年頃から市街に接した地域が住宅地として発展していく。1961(昭和36)年2月日本最東端の国鉄東根室駅が利用開始する。光洋中学校開校する。上水道拡張工事。1965(昭和40)年9月市内地番改正し、牧ノ内・桂木・月ヶ丘地域を分割し、西浜・月岡・宝林・駒場・明治・北浜・昭和となり、市部字名を廃止する。1966(昭和41)年1月桂木・光洋町となる。1968(昭和43)年成央小学校開校する。1970(昭和45)年の光洋町世帯数は863戸、3412人。1975(昭和50)年の光洋町世帯数は1327戸、5070人。

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