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尾岱沼温泉シーサイドホテル

住所 野付郡別海町尾岱沼岬町29番地
TEL 0153-86-2316
日帰り入浴 13時〜20時
日帰り料金 大人500円 小人200円 幼児100円。貸タオル 大200円・小100円
駐車場 50台程度 無料

尾岱沼温泉シーサイドホテル

別海町観光協会

野付の由来は、アイヌ語の「ノッケウ」(あご)から。昔ここへ大きな鯨が流れ寄り、その下顎がこの埼(さき)になったという説と砂嘴の形状から名づけられたという説がある。
別海の由来は、アイヌ語の「ベッ・カイェ」(川の折れ曲がっているところ)から。元禄年間には「べけるる」、安政年間には、「ヘッカイ」と呼ばれ、1872(明治5)年に別海となった。
尾岱沼の由来は、アイヌ語の「オタ・エト」(砂・岬)を和人が「オダイトー」と発音、漢字で「尾岱沼」と書かれるようになる。語尾の「トゥ」tuを「ト−」to(湖・沼)とまちがえて、「沼」の字を当てて読んでいる。
道の駅 おだいとうから標津方向へ国道244号を約5.6kmを右折し、約210m右手。

野付湾に面した高台にありロケーションが最高だ。露天風呂や客室(海側)からは野付湾と野付半島を望み、天気が良ければ北方領土でもある国後島を見ることが出来る。時期にもよるが打瀬船の北海シマエビ漁(6月下旬〜7月末、10月下旬に見られるかも)を楽しむことが出来る人気のホテルだ。
宿泊は、チェックイン15時〜チェックアウト翌10時。連泊はこれに限らない。全客室に無料インターネット回線完備している。パソコンの貸し出しはしていない。
全21室で45名程度宿泊可能。海の見える洋・和室と、海が臨めない洋・和室があるので予約時に確認するのがいいだろう。民宿タイプの部屋もあるようだ。要HP参照。
料理は近海の海の幸を中心に、和食を提供してくれる。
風呂は、大浴場、露天風呂共男女1ずつ。加水しているため塩素系薬剤を使用。リンスインシャンプー・ボディーソープ・ドライヤーなども備えられている。とにかくお湯がいい。かけ流しの為塩素の匂いは気にならなかった。ちょっとしょっぱいお湯。館内ロビーからの眺めもいい。

泉質は、ナトリウム一塩化物泉(高張性弱アルカリ性高温泉)
源泉温度 54.7℃。自噴で湧出量は毎分80リットル程度。PH7.7。塩素系薬剤を使用。
効能は、リウマチ、神経症、冷え性、慢性皮膚病、疲労回復。
併設して「民宿トドワラ荘」もある(写真は撮っていません)。食事はシーサイドホテルの食事処で。
宿泊は、全5室で15名程度。チェックインは15時〜チェックアウトは翌10時

尾岱沼は、別海町の北東部に位置し、東は野付湾に面する。野付半島と対峙する漁業地帯でもある。尾岱沼港を中心として市街地を形成し、内陸では酪農を営む。春別川河口は白鳥台と称し、冬季には白鳥の越冬地ともなっている。元は別海町大字平糸村の一部だった。1872(明治5)年3月野付郡内に、別海村、平糸村、野付村、茶志骨村、根室郡内に西別村が誕生する。8月別海〜標津間8里47間新道完成。本別海の部落形成が始まる。1879(明治12)年7月別海に戸長役場が設置され、走古譚、西別、平糸、野付、別海の五村を統轄し、別海外4ヶ村戸長役場と称する。1885(明治18)年3月春別に駅逓所を開設、取扱人に玉熊重吉となる。1887(明治20)年尾岱沼に大橋喜代松が漁業をして住み始める。1889(明治22)年蝋山吉次郎がチカ・エビなどの瀬引網を始める。1892(明治25)年春別に寺子屋式の私設教育所を設置する。1900(明治33)年春別原野植民区画される。1906(明治39)年には駅逓取扱人だった小沢七十郎が牧場経営を始める。1909(明治42)年の戸数は春別で45戸、尾岱沼が50戸。1911(明治44)年曹洞宗平糸説教所(現・野付郡別海町尾岱沼潮見町の護国寺)設置する。当時は春別が当地の中心だったが明治末期に山本・大隅缶詰所が相次いで尾岱沼地区にできたことで漁業の中心は尾岱沼地区になっていった。1858(安政5)年頃に建立した弁天社を野付神社(現・野付郡別海町尾岱沼潮見町123番地)とする。
 1923(大正12)年1月走古譚村、西別村を野付郡に編入し、茶志骨村が標津郡標津村の一部となる。4月二級町村制の施行により、別海村、平糸村、野付村、根室郡西別村、走古潭村、厚別村の区域をもって別海村が誕生する。根室郡と野付郡の境界を風蓮湖口の中央とする。
 1934(昭和9)年10月村役場を本別海地区から西別地区(現・別海地区)に移転する。野付半島一帯の道立公園認定を申請。戸数は春別12戸、75人、尾岱沼は98戸、583人。1951(昭和26)年尾岱沼漁港が第二種漁港に指定される。1962(昭和37)年野付風蓮道立自然公園に指定される。1971(昭和46)年4月町制施行、別海町となる。6月森永乳業別海工場操業開始。町営バスの路線運行開始。1972(昭和47)年1月区画整理による新字名番地が施行される。1973(昭和48)年トドワラ遊歩道整備される。
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