温根沼住所 根室市温根沼根室市観光協会 根室の由来は、語源は早くに忘れ去られ不明であるが諸説ある。江戸時代の記録には「子モロ」「根諸」などと記され、根室市では「根室国」を命名した松浦武四郎による「知床日誌」では、アイヌ語の「ニ・ムイ」(木・湾の意)を由来とし、この説を採用している。他にも「ニイモヲロ」(静かで樹木のあるの意)・「ニノヲロ」(ウニがあるの意)・「ニムオロ」(樹木繁茂する所の意)・「ネムロコタン」(池のある集落)・「メム・オロ・ペッ」(湧壺・そこにある・川の意)などとある。 温根沼の由来は、アイヌ語の「オンネト」(大きい・沼)の意。 国道44号に温根沼大橋がかかっており、橋の根室側に駐車場がある。 温根沼(おんねとう)は、根室市の根室半島の付け根にある沼で、野付風蓮道立自然公園に含まれ、2001(平成13)年に春国岱(しゅんくにたい)と並んで日本の重要湿地500に選出された。 根室半島の基部にあり根室湾から長く入り込んでいる。北は根室湾に面し、西隣にある風蓮湖と同様の淡水と海水が混ざった汽水湖。周囲約14km。東西約1km。南北約8km。面積は約4.3平方km。最深部は6.7m。平均水深は1.2m。沼の北部が根室湾と繋がり砂州となっている。縄文海進によって形成された海跡湖。周辺はアカエゾマツの森林が多く残る根室段丘の丘陵地で標高は30m程度。主な流入河川は南からのオンネベツ川。干潮時には沖合まで砂州が開け干潟となり、アサリやホッキガイが取れるようである。ハクチョウの飛来地としても有名で、10月頃にはオオハクチョウが飛来する。他にもタンチョウ・オオワシ・オジロワシなども見られ、渡り鳥が多数訪れることで知られ、運が良ければ子育てするタンチョウを見ることもできるそうだ。 沼側 海側 温根沼は、当時は「ヲン子トウ」江戸期から見られる地名で、最上徳内が現地調査し作製した「蝦夷風俗人情之沙汰 中」には「ヲン子トウ、フウレントウ、此等は、皆海水来住して潮汐の干満あり」とある。ネモロ場所のアイヌ居住地としてもヲンネトウが書かれている。松浦武四郎が著した「初航蝦夷日誌」では「ヲン子トウ・・・・・鱒・鮭・比目魚多きよし」とある。当時は住民は居なかったと記述している。その後温根沼東岸(温根沼口)に渡船部落ができる(当時の渡しは潮の流れも速く危険とされていた)。 1869(明治2)年6月開拓使を設置する。8月蝦夷を北海道と改称し、11国86郡を画定する。根室国根室郡に属する。1870(明治3)年幌茂尻〜厚別駅までの道路開削(この道路が出来るまでは根室〜落石を通って山道10里もかかった)する。1872(明治5)年3月根室管内の村名を定める。幌茂尻村・厚別村の一部となる。1875(明治8)年3月管内町村及び港湾のカナ書アイヌ名を漢字に改める。大字を附する。10月温根沼に木材囲場を官設する。1877(明治10)年東梅にも渡守置かれる。陸路は厚岸に至る道と、温根沼から昆布盛へ出て根室に向かう道路があった。1878(明治11)年5月根室〜浜中間の道路を南海岸に移し、厚別駅逓を廃し、落石駅逓を置く。1882(明治15)年根室郡幌茂尻村(現・根室市幌茂尻の高台地区)に広島県人63戸が団体移住するが、湿地帯だったことからとても農業のできる土地ではなく、10月だったこともあり厳寒の冬を越せないことから国に嘆願書を出し、根室県がこの人々を雇ったり、米や金を貸し与えるなどの救済策を取って難を逃れる。1884(明治17)年25戸が同地区に入植し集落を作る。1891(明治24)年9月温根沼厳島神社の創立が許可される。1892(明治25)年頃からは鰊漁が盛んになり付近には数千人の漁夫が出入りする。この頃70戸ほどになり、各種商店・宿屋・製材屋・酒造屋・神社・寺院・医院・駐在所・郵便局・小学校などができた。1896(明治29)年11月温根沼に橋を設ける。この頃温根沼湖口付近には20戸ほどの家があった。1900(明治33)年7月根室町に一級町村制を施行する。和田外二村戸長役場に穂香(現・根室市)・幌茂尻・厚別の三村を加えて和田外五村戸長役場となる。友知(現・根室市)外五村戸長役場を置く。1906(明治39)年4月和田・落石・昆布盛・穂香・幌茂尻・厚別を割いて和田村と改め、二級町村制を施行する。和田村役場を置く。1907(明治40)年12月風蓮川・別当賀川に渡船場設ける。1910(明治43)年9月別当賀・奥行臼に駅逓を置く。 1919(大正8)年11月国有鉄道(根室本線)の厚岸〜厚床間を延伸開業、糸魚沢・茶内・浜中・姉別・厚床駅を新設。1920(大正9)年10月和田〜根室間の建築鉄道が運行される。11月厚床〜西和田間を延伸開業、初田牛・別当賀・落石・西和田の各駅を新設。 1932(昭和7)年11月町内地番改正し、大字を廃し36町名となる。1935(昭和10)年6月温根沼の厳島神社造営(現・根室市温根沼213)する。1957(昭和32)年8月根室町と和田村を合併し、根室市が誕生する。1961(昭和36)年10月温根沼橋が鉄橋に架橋される。1962(昭和37)年5月根室〜釧路間の国道が一級に昇格する。12月風蓮湖の白鳥が7053羽を確認する。野付風蓮道立自然公園に指定される。この頃船揚場桟橋・船揚場斜路・水揚荷捌施設など整備される。1967(昭和42)年からは現在の行政字名。それ以前は根室市大字幌茂尻村の一部とトマリ・ヲテスキムイ・トボケナイ・ヲンネトウ。1983(昭和58)年4月にはチャルコロフィナ1〜2号チャシ跡(濠が二重・三重に掘り巡らされた特異な形式が多い)が「根室半島チャシ跡群」の一部として国史跡に指定されている。 |