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道の駅 おだいとう

住所 野付郡別海町尾岱沼5番地27
TEL 0153)86-2449
開館時間 5〜10月は9時〜17時、11〜4月は9時〜16時
休館日 レストラン・展示・展望室は、11〜4月は月曜日(月曜日が祝日の時は翌日) 年末年始(12月30日〜1月3日)

別海町観光協会

野付の由来は、アイヌ語の「ノッケウ」(あご)から。昔ここへ大きな鯨が流れ寄り、その下顎がこの埼(さき)になったという説と砂嘴の形状から名づけられたという説がある。
別海の由来は、アイヌ語の「ベッ・カイェ」(川の折れ曲がっているところ)から。元禄年間には「べけるる」、安政年間には、「ヘッカイ」と呼ばれ、1872(明治5)年に別海となった。
尾岱沼の由来は、アイヌ語の「オタ・エト」(砂・岬)を和人が「オダイトー」と発音、漢字で「尾岱沼」と書かれるようになる。語尾の「トゥ」tuを「ト−」to(湖・沼)とまちがえて、「沼」の字を当てて読んでいる。
国道244号線沿いにあり、尾岱沼市街地から約4km、標津町市街地から約17.7kmほど。本別海市街地から約17.2kmほど。

道の駅「おだいとう」は、国道244号沿いの海を望む絶好のロケーションに位置し、冬から春にかけて数百羽の白鳥が飛来する「白鳥台」に隣接している。メイン施設は、別海北方展望塔で、開駅は2011(平成23)年4月である。
1階は、売店では別海と言えば牛乳と言うほど有名で、三角パック牛乳・コーヒー牛乳各100円や、生乳を使ったアイス・チーズなどの乳製品も販売されている。
レストランでは、ラーメンやカレー(カレーにはホッキのひもが入っている)、地元の「ジャンボホタテ」を使ったメニューなども提供している。


2階には北方領土の歴史、返還に向けた過去からの取り組みなどがわかる資料が展示されている。


3階には野付半島や国後島を見ることができる展望スペースになっている。
私が訪問した日は、あいにくの曇りだったが、鶴のつがいを見ることが出来た。


道の駅敷地内には北方領土返還を願い建設された「叫びの像」がある。
北方四島の返還を実現させるべく建立されたこの像は、山形県の実業家である鈴木傅六氏が別海町に寄贈したもの。
「たとえ何代かかっても北方四島を取り戻す」という国民総意を表すため、老女が息子、孫を両脇に従え、すさまじい迫力で「返せ」と叫ぶ姿が込められている。
高さ2.4メートルの像の先には、北方四島をイメージした高さ16mのポールが立ち、像とポールの間の距離は、野付半島から国後島までの最短距離16kmにちなんで16mとなっている。


白鳥台

道の駅 おだいとうでもある、春別川河口の高台が白鳥台と呼ばれている。
海の向こうには野付半島を望むことができ、11月〜3月にかけてオオハクチョウなどの渡り鳥が飛来し間近に楽しむことができる。
また、厳冬期の朝、光の屈折により稀に発生する「四角い太陽」を観測することができる数少ないビューポイントでもある。
それと2月の第2日曜日には「おだいとう白鳥まつり」が行われ、雪像を作ったり、冬の味覚や各種ゲームが楽しめるイベントが行われる。
白鳥に扮して氷の上に裸足で立ち、立っていられる時間を競う「楽寒!白鳥の湖ゲーム」、雪の中に埋められたホタテの貝殻を探し、時間内に掘り当てた枚数分の活ホタテがもらえる「雪中ホタテ潮干狩り」など家族連れで楽しめるイベントがある。
お問い合わせ先別海町観光協会

尾岱沼は、別海町の北東部に位置し、東は野付湾に面する。野付半島と対峙する漁業地帯でもある。尾岱沼港を中心として市街地を形成し、内陸では酪農を営む。春別川河口は白鳥台と称し、冬季には白鳥の越冬地ともなっている。元は別海町大字平糸村の一部だった。1872(明治5)年3月野付郡内に、別海村、平糸村、野付村、茶志骨村、根室郡内に西別村が誕生する。8月別海〜標津間8里47間新道完成。本別海の部落形成が始まる。1879(明治12)年7月別海に戸長役場が設置され、走古譚、西別、平糸、野付、別海の五村を統轄し、別海外4ヶ村戸長役場と称する。1885(明治18)年3月春別に駅逓所を開設、取扱人に玉熊重吉となる。1887(明治20)年尾岱沼に大橋喜代松が漁業をして住み始める。1889(明治22)年蝋山吉次郎がチカ・エビなどの瀬引網を始める。1892(明治25)年春別に寺子屋式の私設教育所を設置する。1900(明治33)年春別原野植民区画される。1906(明治39)年には駅逓取扱人だった小沢七十郎が牧場経営を始める。1909(明治42)年の戸数は春別で45戸、尾岱沼が50戸。1911(明治44)年曹洞宗平糸説教所(現・野付郡別海町尾岱沼潮見町の護国寺)設置する。当時は春別が当地の中心だったが明治末期に山本・大隅缶詰所が相次いで尾岱沼地区にできたことで漁業の中心は尾岱沼地区になっていった。1858(安政5)年頃に建立した弁天社を野付神社(現・野付郡別海町尾岱沼潮見町123番地)とする。
 1923(大正12)年1月走古譚村、西別村を野付郡に編入し、茶志骨村が標津郡標津村の一部となる。4月二級町村制の施行により、別海村、平糸村、野付村、根室郡西別村、走古潭村、厚別村の区域をもって別海村が誕生する。根室郡と野付郡の境界を風蓮湖口の中央とする。
 1934(昭和9)年10月村役場を本別海地区から西別地区(現・別海地区)に移転する。野付半島一帯の道立公園認定を申請。戸数は春別12戸、75人、尾岱沼は98戸、583人。1951(昭和26)年尾岱沼漁港が第二種漁港に指定される。1962(昭和37)年野付風蓮道立自然公園に指定される。1971(昭和46)年4月町制施行、別海町となる。6月森永乳業別海工場操業開始。町営バスの路線運行開始。1972(昭和47)年1月区画整理による新字名番地が施行される。1973(昭和48)年トドワラ遊歩道整備される。
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