北海道応援サイト!がんばれ北海道!!

開陽台展望館

住所 標津郡中標津町字俣落2256番17
開館期間 4月下旬〜10月31日
開館時間 9時〜17時30分(10月は16時30分まで)
入場料 無料

一般社団法人 なかしべつ観光協会

標津町の由来は、アイヌ語の「シ・ペッ」(大きな川)(本流)から。松浦武四郎が著した知床日誌によれば、「シベツはシベツヲの訛り、鮭有る義なり」とあり、ヲは尻の意で川口を現すが、鮭有る義に関してはわからない。
中標津の由来は、「シ・ペッ」(大きな川)(本流)の中流域にあることから。
俣落の由来は、「マタ・オチ・イ」(冬・居る・処)の意で、俣落川からつけられた地名。冬でも鮭や鱒がたくさん獲れたことによるらしい。
開陽の由来は、1915(大正4)年移民指導者として3戸が入地した中標津原野22線で、当時は通称「中標津原野開墾指導所」「新区画」とよんでいたが、1918(大正7)年に学校ができることになり、「陽に向け発展する。太陽のごとく拓け隆々発展する」ということを願って名付けたといわれている。
中標津町市街地から道道150号摩周湖中標津線を進み約13.5km。看板があるので分かりやすいだろう。展望館下に駐車場がありそこから徒歩。

標高270mの台地、地球がま〜るく見える視界330度の「開陽台」。天気が良ければ、眼下には広大な自然、区画された牧草地や防風林、点在する牧場、草原の地平線が丸く見え、大パノラマを一望することができる。野付半島や国後島まで望めるようである。1995(平成7)年に現在の建物にリニューアルされた。
(私が訪問したときは霧の中でした)
1階は軽食コーナーや土産品販売コーナーのほか、パノラマ館がある。caffe kaiyodaiのソフトクリームが人気で、蜂蜜ソフトクリームを食べた。
新鮮な牛乳で作ったソフトクリームに、近郊でとれたハチミツをたっぷりとかけてくれる。
席はすべて窓側に向かって座るようになっており、天気が良ければパノラマを堪能できる。
2階は展望回廊、屋上はミニイベントやコンサートなどにも使用できる、パフォーマンスサークルになっており、ここからの眺めも本当なら最高のはずなんですが・・・・・・。


そしてここからの眺めは、北海道遺産の一つである根釧台地の格子状防風林がある。
中標津町、別海町、標津町、標茶町にまたがる格子状防風林は、北海道ならではの雄大なものである。林帯幅約180mの帯状の森林、1辺約3.3kmの格子状に配置した防風林、総延長648kmの林帯は、防風効果だけではなく野生生物の棲家としての機能も果たし、全国にも例を見ないスケールの大きな防風林となっており、あわせて北海道開拓時代の植民地区画を示す歴史的意義も持っている貴重な財産として、2001(平成13)年に「北海道遺産」に選定された。
全体像を掴むのは難しく、2000(平成12)年2月には、スペースシャトルに搭乗した毛利衛さんが撮影している。

展望台の裏手には無料で使用できる開陽台キャンプ場(ウシ空のキャンプ場)があり、北海道を旅するライダーの憩いの場所となっている。また、夜間に天体観測に訪れる者もいるようである。
開陽台展望台奥のキャンプ場は、水道以外何もない。トイレ等は展望館の施設を利用できるが夜間は閉鎖となる。上級者向けのキャンプ場となっているので宿泊する際は注意してほしい。
キャンプ場としてのマナーは必ず守り、ゴミは持ち帰ること。(直火や展望館内での宿泊などは絶対禁止である)
利用期間は、4月下旬〜10月下旬
サイト数は30張程度
駐車場 開陽台駐車場を利用。そこから徒歩。サイト内までは車やバイクでは行けない。受付は不要で管理人も常駐していない。
料金 無料
問い合わせ先 中標津町役場経済振興課
TEL 0153-73-3111

俣落は、1929(昭和4)年8月字名称改正し、俣落となった。元は標津村大字標津村の一部。1946(昭和21)年7月標津村から分村し中標津村が設置され、中標津村俣落。1950(昭和25)年1月町制施行し、中標津町俣落となった。地内北部は戦後開拓であり第二俣落と呼ばれた。
 1917(大正6)年滝ケ平繁三郎他4戸が入植したことに始まる。大正期の戸数は34戸だった。1919(大正8)年俣落神社創建される。1920(大正9)年私設教育所(後の俣落小学校)設置する。1922(大正11)年標津尋常高等小学校付属俣落特別教授場となる。
 1928(昭和3)年の戸数は56戸。この年道路(後の道道833号俣落西五条線)完成する。1929(昭和4)年標津尋常高等小学校付属俣落特別教授場は俣落小学校と改称する。1931(昭和6)年前後に発生した異常低温とコガネムシの大量発生により離農者が多数出る。このため畜産農家への転換が図られた。青年模範部落共栄農場が設置され、共同での開墾が進められていく。当時は馬鈴薯が多く栽培されたこともあり澱粉工場が10軒を超えたこともあったほど。その後亜麻や甜菜の栽培が奨励されている。1950(昭和25)年40戸の入植がある。新生・光・北進などの集落を形成する。1953(昭和28)年俣落小学校第二俣落分校が開校する。1962(昭和37)年3月開陽台観光開発着手する。6月十勝岳大爆発、養老牛、俣落、西竹、開陽、武佐方面に1〜mmの降灰あり。8月開陽台展望台完成する。1964(昭和39)年には第二俣落小学校となる。1965(昭和40)年拓北神宮と合祀して俣落拓北神社となる。1972(昭和47)年俣落小学校に統合となる。1982(昭和57)年開発道路上武佐俣落線開通する。
 1995(平成7)年6月開陽台、旧展望台に替わり開陽台展望館が完成する。2001(平成13)年10月「根釧台地の格子状防風林」が北海道遺産に認定される。
Copyright (C) がんばれ北海道 All Rights Reserved.
inserted by FC2 system