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清水武男世界空撮写真館

住所 芦別市西芦別町11番地6
TEL 0124-25-6006(にしあしの里)
休館日 月曜日・火曜日(変更有要確認)
開館時間 10時〜16時
料金 無料

清水武男世界空撮写真館

一般社団法人芦別観光協会

芦別の由来は、市域南端から中部にかけて南北に貫流する芦別川に由来し、「芦別」とはアイヌ語で、「アシュ・ペツ」(切り立つ・河)に由来する。
西芦別の由来は、芦別市の西にあることに由来する。
国道452号線沿いにあり、芦別市本町の道道115号芦別砂川線との交差点から夕張方向に約2.3kmを左折し右手。

2016(平成28)年11月にオープンした清水武男世界空撮写真館は、2019(令和元)年11月に「芦別市名誉市民」となった北日本精機(ボールベアリングの設計および製造の世界シェアトップとも言われている企業)・代表取締役会長小林英一氏が私財投じ建てたもので、小林会長は「芸術の発信地として芦別の名を内外にアピールし、多くの人を呼び込みたい」という想いと、清水武男氏と生前に交流があったこともあり、同社の西芦別事業所を改修し、展示室を設けた。その際、遺族からネガ約4000枚を借り、その代表作を展示・販売している。
館内は入場料無料である。館内の写真撮影は不可。入ってすぐにカウンターフロアがあり、空撮画像のスライドショーも見られる。銀塩(ネガフィルムの画像をプリントするための方法で、紙自体に発色する薬品が塗られている印画紙を使う)による写真は鮮やかで、A3写真を中心にA2・A4など大小合わせて約千点の空撮写真を展示・販売している。カウンターから右手・左手にA3写真展示スペースとA2大型写真展示スペースがあり、展示数の多さにどこから見ればいいのかと迷うほどだ。空が好きな人なら絶対足を運んでほしい。清水氏のこだわりを感じ取ることができるだろう。
大雪山や知床連山、釧路湿原、利尻島、オホーツクの流氷、山の紅葉、冬の景色などの自然美は圧巻だ。他にもユルリ島の野生馬や十勝平野の畑、海岸の昆布漁など人工的な造形と自然との奇跡的な景観と、どれも素晴らしいものばかり。今ではドローンがあり空中からの撮影も容易となったものの、ドローン普及前の撮影で、小型飛行機から撮られているのがほとんどとのこと。
館長も知識が豊富で写真の事に関してはプロの域と言っても過言ではないだろう。質問などを投げかけても気さくに答えてくれる。私も気が付くと一時間以上も写真を見ていたほど。

今回私が購入した写真。

国道をはさんだ向かいに「小林英一記念美術館」がある(未訪問です)。美術への関心が高い小林会長が、私財を投じて美術館を作ったもので、旧西芦別小学校の体育館を利用した施設である。常設展示が喜茂別町出身の画家「白鳥信之」氏の油彩画とのこと。機会があれば訪問したいと思う。

西芦別は、はじめは芦別村の一部で下芦別御料地旧御料地と呼ばれていた。成立時の世帯数は440戸、2400人。当所は農村地帯として発展していった。1918(大正7)年下芦別御料地を頼城に、旧御料地・中御料地を西芦別として独立する。1920(大正9)年三井鉱山が西芦別地区の開坑計画を断念する。
 1937(昭和12)年10月三井鉱山西芦別地区鉱業用地約1100町歩を買収する。採炭準備をし頼城地区の鉱業用地を買収する。1939(昭和14)年7月三井鉱業所一抗開抗。9月三井鉱山三井芦別鉱業所設置する。炭鉱の町として栄えていく。10月部落名変更し西芦別の行政字名となる。1940(昭和15)年2月西芦別小学校開校する。字名・地番改正する。11月三井鉱山株式会社芦別鉱業所開鉱にともない、芦別〜西芦別間に鉄道敷設貨物列車の運行を行う。これに伴い人口が急増する。1941(昭和16)年4月町制施行。1942(昭和17)年5月三井芦別専用鉄道、芦別〜西芦別間に西芦別駅を設置し旅客列車の運転開始。1944(昭和19)年4月三井鉱山は頼城鉱区を買収し、二抗開抗する。1945(昭和20)年12月西芦別〜頼城間に三井芦別専用線を延長し、旅客貨物の運転開始。1947(昭和22)年西芦別中学校が開校する。1949(昭和24)年1月三井芦別専用鉄道が三井鉱山芦別鉄道と改称する。1953(昭和28)年4月市制施行により「芦別市」誕生し芦別市の行政字名となる。1955(昭和30)年9月字名変更し、西芦別・中の丘町となる。世帯数は2580戸、1万3577人。11月炭山川橋完成する。1956(昭和31)年9月西芦別小学校中の丘分校設置する。1957(昭和32)年中の丘小学校が独立する。1958(昭和33)年1月三井芦別鉱業所一坑立坑完成する。1960(昭和35)年6月三井芦別鉱業所にて二坑に立坑開削する。10月頼城地区開拓道路完成する。芦別三笠線起工式。日鉄鉱業株式会社が芦別川上流にて砂鉄鉱床調査。1961(昭和36)年3月三井芦別鉱業学校へ閉校となる。10月三井鉄道株式会社設立する。三菱芦別鉱業所を三菱芦別炭鉱と改称する。1962(昭和37)年4月三井芦別鉱業所一坑と二坑の連絡坑道完成する。三井芦別鉱業所二坑の深部斜坑採炭開始。7月三井芦別鉱業所二てガス爆発8名死亡、重傷者6名。1964(昭和39)年10月西芦別市街地にて大火33戸焼失する。11月三井芦別総合立坑(頼城)完成する。1965(昭和40)年選炭機能は二坑に集約される。1966(昭和41)年6月三井芦別発電所運転開始。9月芦別〜三笠間の産業開発道路工事着工する。出炭量は167万トンを記録する。1967(昭和42)年11月三井芦別鉱にてガス爆発発生し、3名死亡する。1970(昭和45)年1月産炭地企業北日本精機(株)が操業開始。三井芦別鉱でガス爆発、4名死亡、8名重傷。10月西芦別小学校校舎改築する。1973(昭和48)年10月三井鉱山石炭部門を分離して三井石炭鉱業(株)を設立する。
 1989(平成元)年三井芦別鉄道廃止。1992(平成4)年三井芦別鉱業所閉山となる。炭鉱の閉山と共に人口が激減する。1996(平成8)年頼城中学校閉校し、西芦別中学校に統合となる。2002(平成14)年頼城小学校が閉校し、西芦別小学校に統合する。2005(平成17)年北日本精機(株)が西芦別工場新設する。2009(平成21)年旧三井鉄道炭山川橋梁が国の登録有形文化財に登録される。2013(平成25)年西芦別小学校が閉校し、上芦別小学校に統合となる。4月小林英一記念美術館オープン。2016(平成28)年11月清水武男世界空撮写真館オープンする。2017(平成29)年上芦別・頼城町に大規模太陽光発電所が完成する。
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