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音江環状列石

住所 深川市音江町字向陽171番1

深川観光情報

深川市の由来は域内を流れる大鳳川(アイヌ語「オオホ・ナイ」)の意訳「深い・川」。
音江町の由来は、アイヌ語の「オ・トゥイェ・ナイ」(川尻が崩れる川)。
国道12号線沿いにあり、道の駅 ライスランドふかがわから約4.1kmほど滝川方向に進むと左手にあり、そこからダートの道を約100mほど進み徒歩で階段をあがり5分ほどで到着する。


この史蹟は、縄文時代の環状列石群で、別称は音江環状石籬である。
雨竜郡一円を一望できる稲見山という標高113メートルの台地に構築されており、1908(明治41)年頃に住民の小野寺大蔵によって発見された。
発掘調査は、1918(大正7)年10月に北海道帝国大学教授阿部宇之八一行が環状列石を調査。
1951(昭和26)年、9月東京大学文学部考古学教室主任教授駒井和愛他4名が発掘の予備調査を行い、1952(昭和27)年10月同氏一行及び北海道大学理学部人類学教授名取武光他6名が発掘調査を行った。
1953(昭和28)年10月に3度駒井教授が訪れ調査を行い、1955(昭和30)年にも発掘調査が行われているようだ。
かつては祭趾かチャシ(砦)と想像されていたストーンサークルもその後の調査で先住民族の墓であることが分かった。
本遺壙は、13号まで確認され、北側と南側に墓域があり、墓壙からは、ヒスイ玉、黒曜石の鏃(やじり)、朱塗りの弓などが出土している。
北側には1〜10号までが並んでいて、これらの遺壙の直径は2m〜5m前後で、深さは約1mほどで楕円形の穴を掘って、安山岩を環状に立て巡らしその内側に付近で取れる安山岩の石を打ち砕き敷き詰めたり、積み重ねたりしている。
墓壙内から腐食した人骨、翡翠の小玉、黒曜石製石鏃、チャート製の石匙(いしさじ)、朱漆片が出土している。
南側には11号〜13号までの土塁が3基があり、それらは東西、南北の長さが30mほどの土手で、平たい石を敷き詰め、その下に1m×2mの墓壙が掘られている。ここには環状の配石はない。
南側土塁の墓壙内から、11号では翡翠小玉23、有柄石鏃12個が並べられた状態で出土。12号では翡翠小玉9、朱漆片。13号では翡翠小玉6、黒曜石石鏃1が出土している。
この墓のほかに30基ほどの遺構があると予想されている。


1928(昭和3)年、北海道指定の史跡に指定され、1956(昭和31)年12月28日、国の史跡に指定された。
音江村開村五十年史参考

国道12号線とは、札幌市から旭川市へ至る一般国道で、総距離は156.8km。

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