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道の駅 スタープラザ芦別

住所 芦別市北4条東1丁目1番地
TEL 0124-23-1437
開館時間 5〜10月は9時〜19時  11〜4月は9時〜18時  レストラン 5〜10月は11時〜18時
休館日 年末年始(12月31日〜1月1日)

芦別市

芦別市の由来は、市域南端から中部にかけて南北に貫流する芦別川に由来し、「芦別」とはアイヌ語で、「アシュ・ペツ」(切り立つ・河)に由来する。
北4条東は、1984(昭和59)年に北4条〜北6条の東西、北7条西の条丁目編成となった町名。東宮元町・農区と称されていた。それ以前は本町の一部である。
国道38号線(芦別バイパス)沿いにあり、国道452号線との交差点から約120mほど。

芦別市にある道の駅で、国道38号線の芦別バイパス沿いにある。開駅は1993(平成5)年4月でメイン施設は芦別市観光物産センター。
1階は、観光案内所・特産物等の販売コーナーなどがある。
2階のレストランでは、空知川を見ながら食事を楽しむことができ、和洋食なメニューがそろったレストランで、芦別名物「ガタタンラーメン」、地元食材を使ったパスタやカレーなど時期により季節限定メニューなどもあり、お米は芦別産100%、食材は芦別や空知管内・道内産のこだわりよう。
道の駅敷地内には、道の駅スタープラザ芦別直売店があり、5月には新鮮な農産物などを販売する「かあちゃん市」が出店し、賑わいを見せる。
営業期間 4月中旬〜11月中旬
営業時間 9時〜17時まで(時期により変更あり)

他にも道の駅の敷地内には、1993(平成5)年9月に開基100周年記念事業の一環として開館した星の降る里百年記念館がある。
マジックビジョン小劇場では、40年前の炭鉱長屋の暮らしぶりを映像システムを使って再現。その他、炭鉱関連の資料を多数、展示・収蔵している。


北4条東は、1984(昭和59)年に北4条〜北6条の東西、北7条西の条丁目編成となた町名。東宮元町・農区と称されていた。それ以前は本町の一部である。本町は、1955(昭和30)年9月字名変更し、本町となる。それ以前は芦別市字芦別の一部で下芦別、市街地と呼ばれていた。それよりも前は班渓と呼ばれていた。芦別川と空知川の合流点付近は空知太といい、その芦別川の上流付近に渡船場があった。1857(安政4)年、5月松浦武四郎石狩川を遡り空知太に達する。5月さらに遡り上川盆地に至る。石狩川を下り新十津川のトップ(徳富)に宿泊する。6月空知川を遡り芦別のパンケホロナイ川合流点に宿泊する。オチヌンベ川合流点に宿泊する。6月さらに遡り空知大滝に達する。空知川を下り空知太に戻る。「丁巳日誌」ではホロナイ(幌内)・アシベツ(芦別)・ノカナン(野花南)・ヲチンベ(野花南)・カムイコタン(野花南)・シヨキコマナイ(滝里)などの地名が見えるが住人は記載されていない。
 1893(明治26)年山形県人佐藤伝次郎が歌志内からパンケホロナイ(右岸・常磐)に入植、芦別開基の人となる。1894(明治27)年4月芦別神社の起源となる神社を創祀。1895(明治28)年2月空知川沿岸原野600区画を貸下げ。3月早川仁左衛門・根井清作が富山県人30戸ほどを率いて下芦別に入地。朝山団体と称した。長浜善次郎下班渓において雑貨商を営む。芦別の商店の始まり。下芦別に説教所(現・大心寺 芦別市北一条西1)開設する。1896(明治29)年6月下芦別39線12号に官設駅逓設置する。下班渓〜野花南の仮道路開削する。杉浦大乗が20坪余の本願寺派説教所(本誓寺 芦別市北三条東1丁目3)設置する。宮川伊之助が下芦別にて雑貨店を開業する。1897(明治30)年7月滝川村と奈江村を分割し歌志内村を設置、歌志内村字芦別となる。 下芦別三十七線中市街北端に芦別神社を創祀。1899(明治32)年1月下芦別簡易教育所設置する。5月郵便局を置くにあたり市街地選定の運動起こる。9月芦別太に郵便局を設置する。1900(明治33)年6月歌志内村より分村「芦別村」が誕生する。区画は芦別・ポンモシリ・ヌカナン・ペンケ幌内・パンケ幌内・次郎島・百戸など。芦別村の世帯数は457戸、2059人。7月戸長役場を下芦別37線174号の民家を借り受け開庁する。11月戸長役場を新築する。下芦別御料地の開墾始まる。1901(明治34)年芦別駅逓所を下芦別37線に移転。1903(明治36)年にはポンモシリ・野花南・上芦別・下芦別・上班渓・下班渓となる。1904(明治37)年3月空知川北岸道路が班渓地内で完成する。6月芦別小学校校舎新築する。1906(明治39)年4月二級町村制施行する。成立時の世帯数は852戸、4064人。9月芦別神社の社殿新築する。部落名・字名を改称する。1911(明治44)年2月下富良野線鉄道は8工区に分けて着工する。
 1913(大正2)年9月部落・字名改正する。10月三菱合資会社(三菱鉱業芦別鉱業所の前身)が石炭の試掘と露頭炭調査する。11月滝川〜下富良野間に鉄道開通し、釧路本線と称する。(現・根室本線)下芦別、野花南、奔茂尻の各駅設置する。駅周辺が市街地化していく。1914(大正3)年8月宮田静機を開基とし御室派説教所(現・大照寺、本町140−4)創建する。1918(大正7)年下芦別に電灯ともる。芦別駅逓所廃止となる。1920(大正9)年芦別炭鉱株式会社、下芦別〜盤の沢間に軽便鉄道を敷設。1921(大正10)年滝川〜根室を根室本線と改称する。1923(大正12)年4月一級町村制施行。部落名字名改正する。下芦別・下班渓・上班渓・上芦別・野花南があった。1926(大正15)年人口の増加と集落の開発に伴い次郎島・三又ノ沢・新城・辺渓・西芦別・頼成・奔茂尻を増設する。
 1939(昭和14)年10月部落名変更。字芦別・常磐・福住・黄金・豊岡・旭・西芦別・富岡・頼成・丸山・金剛・滝里・泉・新城・幌内の15字を編成する。本町の世帯数は810戸、4450人。1941(昭和16)年4月町制施行。15字を継承する。成立時の芦別町の世帯数は2988戸、1万5258人。1946(昭和21)年5月下芦別駅を芦別駅に、奔茂尻駅を滝里駅に改称する。1947(昭和22)年3月芦別駅舎新築する。 1953(昭和28)年4月市制施行により「芦別市」誕生する。15字を継承する。8月市立病院建設着工。1955(昭和30)年9月字名変更し、本町・高根町・字川岸となる。成立時の世帯数は2209戸、1万2055人。新城町・黄金町・福住町・高根町・旭町・上芦別町・滝里町・西芦別町・中の丘町・東頼成町・緑泉町・頼成町・野花南町・旭町油谷・豊岡町・常磐町・本町・字川岸の17町1字が編成される。1960(昭和35)年南1条の東西、北1条〜北3条の東西。1965(昭和40)年12月ロッジとリフトを新設し、国設芦別スキー場開設する。1966(昭和41)年国設芦別スキー場の管理を芦別振興公社に委託する。1968(昭和43)年南2条東・南3条東を編成。1969(昭和44)年2月市役所新庁舎に移転する。8月市役所新庁舎落成する。1970(昭和45)年7月芦別レジャーランド開業する。1977(昭和52)年芦別環状線が開通する。1981(昭和56)年市立図書館完成する。1984(昭和59)年北4条〜北6条の東西、北7条西の条丁目編成。
 1993(平成5)年4月スタープラザ芦別が「道の駅」認定される。9月星の降る里百年記念館オープン。開基100周年記念式典挙行。


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