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北海道天徳大観音

住所 芦別市旭町

芦別市

芦別市の由来は、市域南端から中部にかけて南北に貫流する芦別川に由来し、「芦別」とはアイヌ語で、「アシュ・ペツ」(切り立つ・河)に由来する。
旭町の由来は、役場所在地の東にある部落で旭の出づる方向にあるため。
道の駅 スタープラザ芦別から国道452号線を進み約800mほど。

芦別にはいるとまず目に入るのがこの観音様ではないだろうか。
全長88m。内部見学は現在不可能(2016(平成28)年6月16日確認済み)。
2013(平成25)年1月に石川県金沢市の宗教法人「天徳育成会」の所有となったからだが、今後も一般に公開はしないとのこと。

以前は、エレベーターで最上階まで上ることができ、大観音展望台からは芦別の市街地を一望できた。
モノレールも1999(平成11)年までは運行していたらしいが、現在は廃止されている。
北海道大観音の建設計画は、1975(昭和50)年に持ち上がり、1978(昭和53)年に現在地に建立することを決定、胎内に納める仏像の制作を開始する。
1984(昭和59)年に本体着工され、1989(平成元)年11月日本とインドの僧侶およそ20数名により開眼法要が盛大に行われ設置されたもの。
 大観音内部は、胎内めぐりというものがあり、ご本尊を一番札所として、各偶数階に7体の観音像が安置されており、螺旋階段でぐるぐると降りながら参拝するようになっていた。
18階には「迷企羅神将・白衣観音・伐折羅神将」、16階に「廣目店・増長天・龍頭観音・持国天・多聞天」、14階に「虚空蔵菩薩・如意輪観音・勢至菩薩」、12階に「日光菩薩・延命南海菩薩・月光菩薩」、10階に「地蔵菩薩・慈母観音・地蔵菩薩」、8階に「普賢菩薩・聖観音・文珠菩薩」と、菩薩像や観音像をはじめとする像がそれぞれ設置されている。
6階には十二支の「干支守本尊」、4階には仏教資料館があり世界の仏具と仏像を展示していた。
2階には「七福神殿」、1階の入り口を入ったところに「千体観音」がある。

ライフステージホテル天都(閉鎖)

1970(昭和45)年、芦別市に活気を取り戻そうと、市内の商工業者が「芦別レジャーランド」として開業した施設。
大浴場やボウリング場などのアトラクションを設置して大いに繁盛した。
1977(昭和52)年、ホテル五重の塔オープン。
1988(昭和63)年、「北の京・芦別」に改称される。
1989(平成元)年、北海道大観音建立。
1993(平成5)年、ホテル三十三間堂オープン。
2007(平成19)年、1月有限会社ランド(本社・芦別市)へ売却され、同年6月運営会社である「株式会社北の京芦別」は経営不振のために会社解散を決議。
2008(平成20)年、4月に特別清算を開始。「北の京芦別」の名称もそのままに営業を継続し、同年11月まで「有限会社 ランド」が営業。その後「株式会社アイカム」が継続して営業を行う。
2011(平成23)年、10月「株式会社アイカム」が撤退、所有権は福島県二本松市の豊島硝子に移り、委託を受けた経営コンサルタントのもと事業規模を大幅に縮小し営業を継続した。
2012(平成24)年、8月奈良県の「アコンプ」(本社・大和郡山市)に所有者が変わり、現在の名称である「ライフステージホテル天都」と改称、北海道観音も引き継がれている。
その後アコンプ社のホテル事業撤退に伴い、2013(平成25)年8月末をもって閉鎖となった。

旭町は、辺渓川流域にて北・東部は山岳地帯、かつては芦別レジャーランドがあり市のレジャー・スポーツ施設が多かったが現在はスキー場と旭ヶ丘公園がある。1900(明治33)年に開拓が始まる。1955(昭和30)年9月字名変更し旭町となる。それ以前は辺渓と呼ばれていた。1857(安政4)年、5月松浦武四郎石狩川を遡り空知太に達する。5月さらに遡り上川盆地に至る。石狩川を下り新十津川のトップ(徳富)に宿泊する。6月空知川を遡り芦別のパンケホロナイ川合流点(常盤町班渓)に宿泊する。翌日ペンケホロナイ(旭町)を経て「右の方アシベツ、是余程の大川なり。源はユウバリ岳より落ちる。過てビラウトル(野花南)、ナエ。七ツ過チヘアケ(野花南)と云に至て宿す」とあり、オチヌンベ川合流点に宿泊する。6月さらに遡り空知大滝に達する。空知川を下り空知太に戻る。明治前は鶴岡藩の警固地となっていた。
 1869(明治2)年蝦夷を改めて北海道として11国86郡を定める。石狩国空知郡に属する。1879(明治12)年石狩外七郡役所の管轄となる。1886(明治19)年1月函館・札幌・根室の三県と北海道事業管理局を廃し、北海道庁を札幌に置き、函館・根室に支庁を置く。内田瀞が空知郡内の殖民地選定。1889(明治22)年空知川支流ペンケホロナイ川、パンケホロナイ川、オチノンベに砂金採取者多数来る。1893(明治26)年山形県人佐藤伝次郎が歌志内からパンケホロナイ(右岸・常磐)に入植、芦別開基の人となる。1894(明治27)年中川一介がペンケ御料地を除く全殖民地の貸下げを受け中川農場とする。1897(明治30)年7月滝川村と奈江村を分割し歌志内村を設置、歌志内村字芦別となり空知支庁下に入る。1900(明治33)年3月辺渓部落開拓開始。6月歌志内村より分村「芦別村」が誕生する。1902(明治35)年本保清吉がペンケホロナイ川(現・ペンケ川と思われる)と空知川の合流点にて回漕業興す。船着場を設置し倉庫を建設した。1906(明治39)年部落名・字名を改称する。1907(明治40)年旭部落で滝沢清吉らが造田し水稲の試作。1908(明治41)年この頃鮫淵・糠南・京都・ペンケ・富田渡船(私設)があった。1909(明治42)年三菱合資会社が空知・芦別・ペンケホロナイ川流域の丘陵地帯・鉄道沿線原野160平方kmの試掘権を設定する。
 1913(大正2)年9月部落・字名改正する。11月滝川〜下富良野間に鉄道開通し、釧路本線と称する。(現・根室本線)下芦別、野花南、奔茂尻の各駅設置する。1914(大正3)年6月芦別小学校辺渓特別教授所開設。1915(大正4)年6月竹原長一が旭温泉を開く。1918(大正7)年5月芦別炭鉱(油谷芦別炭鉱の前身)株式会社ペンケホロナイ盤の沢において石炭採掘開始。下芦別に電灯ともる。芦別駅逓所廃止となる。1919(大正8)年久原鉱業株式会社ペンケ炭鉱(・現旭町)を開鉱する。1920(大正9)年芦別炭鉱株式会社、下芦別〜盤の沢間に軽便鉄道を敷設。1923(大正12)年辺渓幌内鉱区の掘削開始する。部落名字名改正する。
 1938(昭和13)年旭にて東和炭鉱、深田炭鉱開鉱。1939(昭和14)年10月部落名変更。1940(昭和15)年字名・地番改正する。1941(昭和16)年4月町制施行。世帯は2988戸、1万5258人。芦別町となる。1947(昭和22)年丸山・旭地区電化となる。1949(昭和24)年上芦別〜辺渓間の三菱専用鉄道開通する。1953(昭和28)年4月市制施行により「芦別市」誕生し芦別市の行政字名となる。世帯は1万762戸、7万91人。1955(昭和30)年9月字名変更する。10月旭公園を市立公園にする。1956(昭和31)年旭町にて山火事発生し、1485ha焼失する。1964(昭和39)年中国人殉難者の慰霊碑を建立する。1965(昭和40)年3月油谷炭鉱閉山12月ロッジとリフトを新設し、国設芦別スキー場開設する。1966(昭和41)年国設芦別スキー場の管理を芦別振興公社に委託する。パンケ山に展望台完成する。1968(昭和43)年4月旭ヶ丘公園の造成に着手。1969(昭和44)年旭ヶ丘公園に動物が入る。11種30点。1970(昭和45)年7月芦別レジャーランド開業する。旭ヶ丘公園開園する。パンケ山展望台遊歩道完成する。1971(昭和46)年10月西村一平歌碑を旭ヶ丘公園内に建立する。1988(昭和63)年「株式会社星の降る里芦別」創立する。芦別レジャーランドが「竃kの京芦別」に社名変更する。
 1989(平成元)年北海道大観音建立。1993(平成5)年ホテル三十三間堂オープン。1996(平成8)年旭ヶ丘公園整備完工。2007(平成19)年1月有限会社ランド(本社・芦別市)へ売却され、同年6月運営会社である「株式会社北の京芦別」は経営不振のために会社解散を決議。2008(平成20)年4月に特別清算を開始。「北の京芦別」の名称もそのままに営業を継続し、同年11月まで「有限会社 ランド」が営業。その後「株式会社アイカム」が継続して営業を行う。2011(平成23)年10月「株式会社アイカム」が撤退、所有権は福島県二本松市の豊島硝子に移り、委託を受けた経営コンサルタントのもと事業規模を大幅に縮小し営業を継続した。2012(平成24)年8月奈良県の「アコンプ」(本社・大和郡山市)に所有者が変わり、「ライフステージホテル天都」と改称、北海道観音も引き継がれた。2013(平成25)年8月末をもってアコンプ社のホテル事業撤退に伴い北の京芦別は閉鎖となった。
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