北海道応援サイト!がんばれ北海道!!北炭夕張炭鉱(株)夕張新炭鉱跡

北炭夕張炭鉱(株)夕張新炭鉱跡

住所 夕張市清水沢清陵町

NPO法人 ゆうばり観光協会

夕張の由来はアイヌ語の「ユーパロ」(鉱泉の湧き出る所)から。
夕張駅から道道38号夕張岩見沢を国道452号に向うと清水沢地区があり、このあたりは「炭住」と呼ばれた社宅が集中する場所でもある。
今も炭住街が残る清陵町には、鉄格子でふさがれた通洞口があり、今でもすぐに扉が開けられそうな雰囲気が残っている。
当時は、ここから人車に乗り換え繰込み所〜竪坑へと向ったそうだ。
構内入り口右手には、ガス突出事故で亡くなられた方の慰霊碑があった。
この碑は、1981(昭和56)年、10月北炭夕張新炭鉱ガス突出事故発生し、坑内火災発生し死者34名、救護隊10名を含む59名が行方不明のまま消火の為注水を行い、最終的な犠牲者は93名となった。
1982(昭和57)年、3月北炭夕張新炭鉱坑内事故に伴う全遺体93名収容。10月北炭夕張新炭鉱閉山した。


北炭夕張新炭鉱とは、北海道炭礦汽船(北炭)の関連会社が経営する夕張炭鉱の一つ、1975(昭和50)年に出炭を始めた。
当時最新鋭の設備を誇り、質の良い原料炭が採れたため、衰退が進んでいた夕張市の復興の鍵として、地域の期待を集めていたのである。
その一方、徹底した効率化を迫られていたため、安全を無視しての無理な出炭が日常化していた。
保安設備が整っていたものの出炭開始から間もない1975(昭和50)年7月ガス突出事故が発生、死者5人を出したが、その後も無理な出炭は続けられた。
1981(昭和56)年10月16日午前0時、坑口より約3000mほどにある坑道のメタンガスセンサーに異常値が出ていることを地上の制御室が確認する。
ガスの突出事故の発生を確認し、救護隊が救出作業を開始し、34名は遺体で収容、77人は自力で脱出することができ、ほか10名を坑内で死亡確認している。
同日22時30分頃、ガス爆発による坑内火災が発生、救護隊の10名も巻き込まれる二次災害となる。
爆発後火災が収まる兆しが見えなかったことから密閉作業が行われた。
その後、生存者の有無を確認する為に捜索隊が坑内に入るが、坑道の至る所で落盤が発生しており、救出活動を続行する事は危険と判断された。
10月23日、サイレンと共に59名の安否不明者がいる坑内に夕張川の水が注水された。
その後排水作業により遺体の収容作業が再開され、最後に残っていた遺体が収容されたのは1982(昭和57)年3月28日だった。10月北炭夕張新炭鉱は閉山した。

国道452号とは、夕張市を起点とし、旭川市を終点とする一般国道で、総距離は120.6km、不通区間は芦別市幌内〜上川郡美瑛町五稜で開通予定は未定。

道道38号夕張岩見沢線とは、夕張市より岩見沢市に至る主要道道で、総距離46.8km。

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