北海道応援サイト!がんばれ北海道!!三菱大夕張鉄道車両保存地

三菱大夕張鉄道車両保存地

住所 夕張市南部東町

NPO法人 ゆうばり観光協会

三菱大夕張鉄道保存会

夕張の由来はアイヌ語の「ユーパロ」(鉱泉の湧き出る所)から。
国道452号線沿いにあり、夕張市清水沢市街地から約7.4kmほどにある。
1911(明治44)年の開業以来夕張炭鉱を支えた大夕張鉄道が1987(昭和62)年に廃止され、南大夕張駅の跡地に一部の車輌が保存・公開されている。
この車両は、大夕張地区から産出された石炭搬出と住民の足として親しまれてきた貴重な遺産であり、北海道の石炭産業の歴史を今に伝える貴重な文化遺産である。
廃止後は、管理されずに荒廃する一方だった車輌を保存するため、「三菱大夕張鉄道保存会」が発足され、保存会の方々の努力により現在に至っている。
駅舎は取り壊されているが、ホームと車両があり雰囲気満点である。
駅跡には、客車スハニ6・オハ1・ナハフ1・貨車セキ1(石炭運搬用車両)・セキ2・キ1(ラッセル車)他、保線車両が保存されている。
2001(平成13)年10月、三菱大夕張鉄道車輌を含む空知管内の炭鉱遺産が「空知の炭鉱関連施設と生活文化」として「北海道遺産」に認定された。
2007(平成19)年11月、経済産業省より近代化産業遺産として認定された。


そばには夕張シューパロダムインフォメーションセンターがある。
開館予定は5月上旬〜11月末
開館時間 9時〜17時
休館日 土日・祝日
施設内は、大夕張や南大夕張(南部)の懐かしい写真帳、夕張の地層から出るアンモナイト化石、石炭の塊等も展示してあるそうだ。
シューパロ湖近辺の立体模型もあり、ダム提体工事の様子がリアルタイムで、ディスプレイ上に映し出されている。


三菱石炭鉱業大夕張鉄道線とは、夕張市にあった清水沢駅と大夕張炭山駅を結んでいた三菱石炭鉱業の鉄道路線である。
1911(明治44)年、6月大夕張炭坑の専用鉄道として清水沢〜二股間が開通。鉄道院の運転管理で運行。
1916(大正5)年、2月大夕張炭坑(株)を三菱合資会社が買収。
1918(大正7)年、4月三菱合資会社の鉱山部が独立し三菱鉱業(株)設立。
1929(昭和4)年、1月二股駅を南大夕張駅、北部駅を大夕張駅に改称する。6月炭礦の北部開発に伴い南大夕張〜通洞間延長。
1938(昭和13)年、10月通洞駅を大夕張炭山駅に改称する。
1939(昭和14)年、4月三菱鉱業株式会社線(清水沢〜大夕張炭山)として地方鉄道に改組・開業した。
1950(昭和25)年、4月美唄鉄道株式会社の吸収により「三菱鉱業大夕張鉄道」となる。
1953(昭和28)年、12月大夕張〜大夕張炭山間旅客営業開始する。
1956(昭和31)年、6月国鉄との連絡運輸の精算を美唄鉄道との併合精算に変更、「三菱鉱業大夕張鉄道線」となる。
1962(昭和37)年、6月シューパロ湖駅開業。
1969(昭和44)年、10月シューパロ湖駅廃止。三菱鉱業(株)が「石炭部門」を分離。三菱大夕張炭礦大夕張鉄道となる。
1970(昭和45)年、8月南大夕張炭礦営業出炭開始。
1973(昭和48)年、8月大夕張炭礦閉山。12月南大夕張〜大夕張炭山間廃止。三菱大夕張炭礦(株)と三菱高島炭礦(株)が合併、三菱石炭鉱業株式会社となる。12月28日清水沢〜南大夕張間に「SLさよなら列車」運行。
1987(昭和62)年7月南大夕張炭礦の合理化で鉄道廃止。

北海道遺産とは、北海道に関係する自然・文化・産業などの中から、次世代へ継承したいものとして北海道遺産構想推進協議会が選定した有形無形の財産群である。

近代化産業遺産とは、日本の経済産業省が認定している文化遺産の分類である。
我が国の産業近代化の過程を物語る存在として全国に数多くの建築物、機械、文書が今日まで継承されている。
経済産業省は、これらの歴史的価値をより顕在化させ、地域の活性化に役立てることを目的としたもので、平成19年度・20年度において、地域史・産業史の観点から、33のストーリーとして取りまとめた「近代化産業遺産群33」「近代化産業遺産群 続33」を公表した。

三菱大夕張炭鉱とは、夕張市の夕張川上流部で操業していた三菱鉱業経営の炭鉱で、1929年南部地区より移行し操業開始した。
優良な鉄鋼コークス用原料炭を産出し、坑内から湧出するメタンガスを原料としたメタノールの製造も行われていた。
1970(昭和45)年隣接する南部地区に三菱南大夕張炭鉱が操業を開始し、1973(昭和48)年に閉山した。

三菱南大夕張炭鉱とは、夕張市に存在する石狩炭田の一部を形成する炭鉱で、夕張市南部東町に鉱業所を設置、操業していた三菱鉱業経営の炭鉱である。
日本で初めて原料炭を専門に採炭する新規開発のビルド鉱第一号として1966(昭和41)年三菱鉱業による鉄鋼コークス用原料炭を確保するため開発され、1970(昭和45)年から営業出炭を開始した比較的新しい炭鉱で、夕張市内に作られた炭鉱で二番目に新しく、一番最後まで稼働していた炭鉱である。
集中保安監視システム、ホーベル(切削式採炭機)、エアー・ブラスター(空気発破)など最新鋭の技術が採用され、高能率を誇った。
夕張市最後の炭鉱として期待されていたが、1985(昭和60)年のガス爆発事故、海外からの低価格の原料炭輸入などから1990(平成2)年に閉山した。

国道452号とは、夕張市を起点とし、旭川市を終点とする一般国道で、総距離は120.6km、不通区間は芦別市幌内〜上川郡美瑛町五稜で開通予定は未定。

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