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岩見沢発祥の地記念公園

住所 岩見沢市北本町東1丁目

岩見沢市観光協会

岩見沢の由来は、諸説あるが開拓使が1878(明治11)年、幌内煤田(幌内炭鉱)に至る道路開削のとき、丁卒が幾春別川の川辺で浴(ゆあみ)したことが起源となり、「浴澤」(ゆあみさわ)と称するようになり、これが転化して「岩見澤」(いわみざわ)と呼ばれるようになった。
2006年3月27日に栗沢町・北村を編入合併した。
岩見沢市街地から道道6号岩見沢月形線を約1.5kmほど、狩野橋を渡ってすぐ右にある。
開拓当初、市の北側を流れる幾春別川沿いに、宿泊所が設けられたのが岩見沢の始まりといわれていて、1882(明治15)年狩野末治が旅人たちの宿泊所を営んだ場所。
1983(昭和58)年に開基百年を迎え、現在の北本町東1丁目に発祥の地として公園を整備。記念碑、広場、休憩所、さらに河川側に花壇、照明灯も設置されています。 正式名は、幾春別川リバーパーク岩見沢発祥の地記念公園。
当時、移住士族が岩見澤に到着するも入植地には家屋などはまだ整っていなかったという。
このため駅近くに天幕を張り集団生活をしながら家屋の完成を待ち順次入居したそうだ。

岩見沢発祥の地由来(岩見沢市史より)
明治十一年八月開拓使によって旅人保護の
ためこの地に官設休泊所が設置され、のち
狩野末治がこれを借り受け宿泊と渡し守
を営みました。これが岩見沢市街地定住の
第一号といわれています。また道路工事に
従事した人々がゆあみをして汗を流し落した
沢、浴沢(ゆあみさわ)から岩見沢の地名が生まれた
といわれていますが、その場所もこの近くです。
そしてこの両岸から次々と人が住みつき今日の
岩見沢が誕生しました。
なおこの碑は、昭和五十八年に岩見沢開基
百年を迎えるにあたり記念事業の一環として
岩見沢青年会議所が第三十一回北海道地区
会員大会主観記念として一般市民の協力
を得て建立し、市に寄贈されたものです。
昭和五十八年九月五日
岩見沢市長 国兼孝治

そばには、レンガで造られた洒落たトイレも設置されている。


1869(明治2)年、蝦夷を改め北海道と改称。北海道を十一国八十六郡とする。
1873(明治6)年、アメリカの地質学者ライマンが早川長十郎の案内で幌内を調査する。
1875(明治8)年、ライマンが幌内煤田を踏査し、幌内より幌内太に至る鉄道敷設の測量を行う。
1878(明治11)年、開拓使が幌内炭山等を行き交う人々のために幌内太〜幌内間に休泊所(2.3個所)を設置。
1882(明治15)年、幌内鉄道、幌内(三笠市幌内) - 手宮(小樽市)間開通。幌向駅、岩見沢簡易乗降所開設。
1883(明治16)年、移住士族取扱規則の公布により、札幌県勧業派出所が設置。入植開始。岩見澤の開基となる。
1884(明治17)年、岩見澤簡易乗降所を駅に昇格する。二級町村制岩見澤村開村・戸長役場設置、山口県外9県より80戸、459名の士族入植。
1885(明治18)年、鳥取、山口外5県より197戸、1044名の士族入植。
1886(明治19)年、岩見澤村は札幌郡長の管轄下におかれる。市来知(いちきしり)川を水源とした北海道最初の開拓水道を敷設、翌年通水失敗となる。
1889(明治22)年、岩見澤村は、夕張郡角田村(現・栗山町)を編入、空知郡岩見澤村・幌向村・夕張郡角田村戸長役場と改称する。上川道路、岩見沢・滝川・忠別太(現旭川)間開通する。
1890(明治23)年、7月夕張郡登川村(現・夕張市)を編入し、空知郡岩見澤村・幌向村・夕張郡角田村・登川村戸長役場と改称する。8月夕張道路開通(岩見沢、角田、夕張間)。8月夕張郡角田村・登川村が分離し、由仁戸長役場の管轄に入る。栗澤村が編入され、空知郡岩見澤村・幌向村・栗澤村戸長役場となる。
1891(明治24)年、北海道炭礦鉄道、空知線岩見沢〜砂川駅〜歌志内間に鉄道開通する。
1892(明治25)年、北海道炭礦鉄道、室蘭線輪西(室蘭)〜岩見沢間に鉄道開通、岩見沢駅が現在地に移転。
1893(明治26)年、幌向村が設置され、空知郡岩見澤村・栗澤村戸長役場と改称する。幌向駅を現在地に移転。
1896(明治29)年、空知郡役所を設置し、空知、夕張、樺戸、雨龍、上川の五群を管轄する。
1897(明治30)年、空知支庁を設置し、空知、夕張、樺戸、雨龍の4郡を管轄する。栗澤村分村、空知郡岩見澤村戸長役場となる。
1900(明治33)年、人口1万人越える、北村を分村し、一級町村制施行、岩見澤村となる。 1906(明治39)年、10月町制施行、岩見澤町となる。
1908(明治41)年、函館に次いで2番目と言われる上水道が完成。
1914(大正3)年、11月志文〜万字炭山間を万字軽便線として開業する。上志文駅・美流渡駅・万字駅・万字炭山駅を新設。
1922(大正11)年、9月万字線と改称。
1933(昭和8)年、岩見沢駅(3代目旧駅舎)新築される。
1943(昭和18)年、市制施行、岩見澤市となる。
1953(昭和28)年、保安隊岩見沢駐屯地開設。
1957(昭和32)年、三笠市の桂沢ダム完成により水の安定供給が実現する。
1961(昭和36)年、1月上志文市民スキー場開設。
1965(昭和40)年、1月第一回雪祭り開催される。4月岩見沢駒沢短期大学開校。
1966(昭和41)年、4月文化会館に郷土資料室開設。9月岩見沢駅前広場整備。
1968(昭和43)年、国鉄函館線、小樽〜滝川間電化される。
1974(昭和49)年、12月国道12号岩見沢バイパス開通。
1983(昭和58)年、開基100周年・市制施行40周年、道央自動車道岩見沢IC開通。
1985(昭和60)年、国鉄万字線廃線となり、北海道中央バスに転換。
1987(昭和62)年、JR幌内線廃線となり、北海道中央バスに転換。
1996(平成8)年、第5回ばら制定都市会議(ばらサミット)開催。中央バス岩見沢ターミナル移転新築。
2000(平成12)年、岩見沢駅3代目駅舎全焼、プレハブ仮駅舎完成。
2001(平成13)年、いわみざわ公園野外音楽堂「キタオン」オープン。
2006(平成18)年、栗沢町・北村を編入合併し岩見沢市となる。
2007(平成19)年、岩見沢複合駅舎の第1期工事完了(岩見沢駅本体部完成)。岩見沢競馬場の休止。
2009(平成15)年、岩見沢複合駅舎の全面供用開始。
2012(平成24)年、再開発ビル「ポルタ」を市が改修し、市民交流施設「であえーる岩見沢」としてリニューアルオープン。
岩見沢市史参考

ベンジャミン・スミス・ライマンとは、1835(天保6)年12月11日 - 1920(大正9)年8月30日。アメリカ合衆国の鉱山学者で、日本にお雇い外国人として招かれた一人で、日本名は来曼。
マサチューセッツ州ノーサンプトン (Northampton) で生まれる。
ハーバード大学を修了後、ドイツのフライベルク鉱山学校(現・フライベルク工科大学で鉱山学を学んだ。
世界各地の石油調査を終えたのち、1872(明治5)年、北海道開拓使の招待で来日する。
1876(明治9)年まで3回の調査を行い、北海道の地質調査に従事し各地に足跡を残している。
1876(明治9)年〜1879(明治12)年の間、本州・四国・九州をめぐる油田調査、地質調査にあたった。
1891(明治24)年に帰国するまで、日本人助手に教育するなど日本の地質学に大きく貢献した。

幌内鉄道は、北海道にかつて存在した官営の鉄道事業者。
後の手宮線(1985(昭和60)年廃止)、函館本線南小樽駅 - 岩見沢駅間(現存)、幌内線(1987(昭和62)年廃止)などを建設。
1889(明治22)年、私鉄の北海道炭礦鉄道に路線を譲渡して消滅した。
建設は、1880(明治13)年、1月小樽市内の若竹第3隧道から着工され、11月には手宮〜札幌間が開通した。
1882(明治15)年11月手宮〜幌内間が全通した。
1886(明治19)年、5月幌内太〜幾春別間着工するも、工事は中断。
1888(明治21)年、3月北有社という団体を設立して幌内鉄道の運営を行う。5月に幌内太〜幾春別間の工事を再開し、同年12月に開業させた。
1889(明治22)年、北海道炭礦鉄道に路線を譲渡する。

北海道炭礦鉄道とは、官営幌内鉄道が開業した鉄道路線を1889(明治22)年に譲渡を受け、手宮(小樽市)〜幌内(三笠市)間、現在のJR北海道、函館本線の一部などを建設した私鉄で、沿線の炭鉱から産出される石炭を積出港に運搬する役目を担っていた。
1889(明治22)年、12月手宮〜幌内、幌内太〜幾春別間移管。
1891(明治24)年、7月岩見〜砂川〜歌志内間を延伸開業し、峰延駅、美唄駅、奈井江駅、砂駅、歌志内駅新設する。
1892(明治25)年、2月砂川〜空知太間を延伸開業し、空知太駅新設。8月岩見沢〜室蘭間延伸開業し、由仁駅、追分駅、苫小牧駅、白老駅、登別駅、幌別駅、室蘭駅(初代)駅新設。11月追分〜夕張間延伸開業し、紅葉山駅、夕張駅新設。
1897(明治30)年、7月輪西〜室蘭間延伸開業し、2代目室蘭駅新設。室蘭から輪西駅名改称。
1898(明治31)年、7月北海道官設鉄道砂川〜空知太間を借上る。
1906(明治39)年、10月公布の鉄道国有法により、全線国有化。会社自体はその後も北海道炭礦汽船と改称して存続した。

万字線とは、日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線である。
岩見沢市の志文駅で室蘭本線から分岐し、空知郡栗沢町(現・岩見沢市栗沢町)の万字炭山駅までを結んでいたが、1985(昭和60)年に廃線となった。
1914(大正3)年、11月志文〜万字炭山間を万字軽便線として開業し、上志文駅、美流渡駅、万字駅、万字炭山駅を新設。
1922(大正11)年、9月万字線と改称。
1924(大正13)年、9月万字〜万字炭山間の旅客営業を開始。
1985(昭和60)年、4月全線廃止し、北海道中央バスに転換。

幌内線とは、北海道旅客鉄道(JR北海道)が運営していた鉄道路線である。
岩見沢市の岩見沢駅で函館本線から分岐し、三笠市の幾春別駅を結んでいたが、1987(昭和62)年に廃止された。
1882(明治15)年11月手宮〜幌内間が全通した。
1884(明治17)年、8月岩見沢駅を新設。
1888(明治21)年、12月幌内太〜郁春別間を延伸開業。
1889(明治22)年、5月郁春別駅を幾春別駅に改称。12月官営幌内鉄道が北海道炭礦鉄道に営業譲渡。
1906(明治39)年、10月岩見沢〜幌内間、幌内太〜幾春別間を買収、国有化。
1909(明治42)年、10月幌内線となる。
1944(昭和19)年、4月幌内太駅を三笠駅に改称。
1972(昭和47)年、11月三笠〜幌内間の旅客営業を廃止。
1987(昭和62)年、4月国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)が承継。7月全線を廃止し、北海道中央バスに転換。

道道6号岩見沢月形線とは、岩見沢市と樺戸郡月形町を結ぶ主要道道で、総距離は23.0km。

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